三重県伊賀市も名古屋、大阪、京都から同じh遠くてなかなか行く機会がなかったのですが、名古屋の用事を済ませて足を伸ばしてみたくなりました。一番の目的は伊賀上野城の攻略です。

JRで名古屋から伊賀上野に向かいますが途中の関西本線の駅には珍しい列車を見ることができますので思わず写真を撮りました。JRの忍者列車は、「SHINOBI-TRAIN(シノビトレイン)」といい、忍者をイメージしたラッピングが施されています。草津~柘植の路線のJR草津線に運行されています。

緑色のラッピング列車「山城列茶」です。JR関西本線の加茂駅から亀山駅間で運行しています。

伊賀上野まではワンマン運転の列車が走ります。車窓は昔懐かしいような風景が続きます。

伊賀上野駅に到着しましたが駅の周りには何もない感じです。

伊賀上野駅からお城のある上野公園まで歩いても行けますがせっかく電車が走っていますのでそれに乗ってみることにします。

2両編成ですがかなり個性のあるペイントですね。

列車で3つ目の駅、忍者とお城の町、上野市駅に降り立ちましたがテンションが上がるお出迎えです。

いざ上野市駅を降りてみるとやたら忍者の恰好した子供や大人が歩いていることに出くわします。

これは忍者の一家ですか。この街の普段着でしょうか。

上野の散策マップを見ていたら忍者が二人隠れていました。

お城にむかう道でもチビ忍者が歩いています。

むむ、お城の石垣の上にもくノ一忍者が二人。

城代屋敷跡(筒井古城跡)がありました。藤堂高虎の前は筒井氏の支配でした。

威風堂々日本100名城の伊賀上野城です。家康の信頼厚い藤堂高虎の改築で有名です。現在は3層3階の昭和10年建築の模擬天守が立ちますが、高虎は当初は5層建ての天守を建てようとしましたが暴風雨で倒壊したため叶わなかったと伝わります。

大阪城の豊臣軍の抑えとして藤堂高虎が城の西方面に深い濠を掘り高く石垣を積んでその防御に力をそそいだと言われます。

お城のキャラクターはたいがー君、た伊賀ーくん。あ、なるほどね。

お城に入ってみますと藤堂高虎がお出迎えです。なんといってもその兜が有名ですね。

そして伊賀上野城に伝わる宝を見ることができました。藤堂高虎で有名なこの兜・黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬり・とうかんなりかぶと)ですが高虎が豊臣秀吉から拝領し長年愛用していたわけですが、大阪夏の陣の際に若武者藤堂良重に与えたものと伝わります。良重は戦死したため家宝として代々藤堂家に伝わったものが現存しているということです。

城の中はさながら資料館のようになっています。

さて実際に藤堂高虎の築城の実際を見てみたいと城の本丸の西側の石垣の端に来てみました。この先は危険です。この景色のはるか向こうには大阪城のイメージが見えていたことでしょう。

30メートルもあると言われるこの高石垣は確かにすごい。上から見下すと目がくらみます。よくこれだけの高い石垣を組めたなと感心させられます。藤堂高虎恐るべしです。

確かに敵にとっては登るのも不可能でしょう。鉄壁の要塞です。

石垣の上にある石には矢穴が空いているものもあって当時の石積みの仕事を偲ばせます。

公園内には忍者博物館もありますが、結構な数の忍者を見ることができたので今日はパスします。

日に何度か忍者の実演ショーも開催されており人気の様です。

もう一つ伊賀市の魅力を忘れていましたが伊賀は松尾芭蕉の故郷なんだそうです。私も旅好きですので芭蕉の姿勢は尊敬しております。不思議なこの建物は芭蕉の旅姿をイメージした俳聖殿です。この他にも芭蕉の生家も再現された建物がありますね。

1821年に伊勢津藩第10代藩主藤堂高兌の時代に藩士の子弟を教育するため建てられた藩校・崇広堂です。現存するのは近畿・東海でここだけとのこと。

藤堂家十代藤堂高沢(とうどう たかさわ)は藩の教育に力を入れた藩主です。

まだ時間もあったので城をでて城の西の方から石垣を下から見上げてみます。これが大阪の秀頼軍に備えた高石垣ですね。

角度も急でとても登れないです。時々上から下を見下した人の悲鳴が響きます。濠も深いのでしょうね。

こちらは伊賀上野市役所です。忍者市と呼んだ方がよいでしょうか。

西大手駅の近くになりますが、西手門跡の碑を見つけました。

上野市駅に戻るとホームには伊賀鉄道の忍者列車が停まっていました。忍者の眼光が鋭いです。

さてお土産は手裏剣やいが栗などいろいろありましたが気に入ったのはこのかた焼きです。忍者の携帯食だったとのことで固く固められたお菓子です。なんと中にはトンカチが入っており叩いて割って食べるというのが面白いです。

 

忍者とお城とそして松尾芭蕉の故郷ということでいくつもの魅力を持った伊賀市でした。楽しい旅でした。(34)