岡崎城をはじめとする史跡の見学のために岡崎にやって来ました。現在の日本の礎を築いた家康公の生誕の地を見学に行くのも悪くはないでしょう。いろいろと心の勉強をさせてもらいます。
JR岡崎から愛知環状鉄道に乗り換えて大門駅から大樹寺を目指します。
大門駅から約2キロ歩きましたかやっと大きな大樹寺の多宝塔が見えてきました。国の重要文化財ですね。
同じく大樹寺の三門です。大樹寺は家康とゆかりの深いお寺です。
大樹寺は松平4代の親忠により松平氏の菩提寺として1475に創建と伝わります。家康の後三代将軍徳川家光により大造営が行われ伽藍が整えられたということです。
最も有名な寺の言い伝えによればあの桶狭間の戦いで今川義元が討死したため家康もこの大樹寺に逃げ込んで自害せんとするも、寺の住職に厭離穢土欣求浄土の教えを説かれ再興を誓ったと言います。歴史の舞台となったお寺です。人間家康の基礎を作ったお寺と言っても良いのしょう。
そして境内からは三門、総門を通して家康誕生の岡崎城が見えることが有名です。
確かに岡崎城は今もこのお寺によって守られているということでしょう。
お寺では家康を諭した厭離穢土欣求浄土のお話を聞くことができます。また歴代将軍の位牌が安置されており拝むことができます。家康73歳の時の木像も有名ですが展示会にご出張とのことで見れませんでした。
境内にある鐘楼です。
家康自身が植えたと伝わる椎です。
大樹寺から岡崎公園まで大きな道路が一直線にあるのですがバスやタクシーは見当たらず暑い中ひたすら歩くことにしました。約3キロくらいでしょうか。
やっとただり着いた岡崎公園ですが藤祭りもやっているようですが今年は気温の上昇が早いために恐らくもう散ってしまっているような気がします。亀戸天神の藤祭りの花も例年よりも1週間は早かったです。
いよいよ家康公生誕の城、日本100名城の岡崎城ですが大手門から城内へ入城します。
岡崎公園の案内図です。あまり広くはないので一通り見て回れそうです。
面白電話ボックスです。
この城で生まれて太平の天下を治めた家康公です。その生きざまは苦難の連続でしたね。家康公の心の原点は三河武士の気骨とも言われますが『人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起らば、困窮したるときを思い出すべし』と私たちが忘れかけていることを気づかせてくれます。
ご存知三方ヶ原の戦いで武田軍に敗れたしかめっ面の絵を描かせたと伝わる家康公の像です。
家康公が生まれた際に産湯を使ったと伝わる井戸です。
本田平八郎忠勝公の銅像です。徳川家康へ仕えた徳川四天王(酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政)の一人ですね。今でも家康公に忠誠にお仕えしているようです。
現在の天守は三層三階の復興天守です。
3層の天守閣に登ってみました。
岡崎の街並みを眺めることができます。
先ほど訪れた大樹寺がかすかに見えています。
からくり時計が鳴って家康公が能を舞い始めました。
なかなか良く出来ていますね。
公園内には三河武士のやかたなる資料館もありました。
ゆっくりと時間をかけて見学することができました。
そういえばオカザえもんなるキャラクターが昔いましたがまだいるのかどうか消息が不明ですかね。(笑)
武将隊の皆さん勢揃いです。暑い中お疲れさまです。
家康公は159センチ出ったんだそうです。かなり小柄です。
城内には空濠らしきものも残り城跡の雰囲気が伝わります。
さよなら、岡崎城。私も出世して家康公のようにまた帰ってきます。
家康公は人生で度々の苦難に襲われながら難を逃れ、最後には泰平の世を作り上げたわけです。家康公の功績や足跡を旅して家康公の思いに少し触れることができました。(32)