年末に九州に帰省しましたが久々にゆっくりのんびりと過ごすことができました。近くの100名城の府内城では珍しいイベント(ライトアップ)がされていると聞き出かけてみることにします。また博多に向かう途中にも小倉城という珍しい天守を持つ城もありますので、見学させていただきます。

 
普段見慣れた府内城の櫓が見えてきました。私の実家からは歩いて10分くらいですのでいつも見ている光景です。府内城は今から約400年前、石田三成の妹婿福原直高12万石の居城として築かれました。右に見える宗門櫓は修理中の様です。
府内という名称は鎌倉時代に源頼朝から豊後国の守護職に命じられた大友能直の時代に遡ります。三代頼泰の時代にそれまで続いていた国府(今の古国府)を海寄りに移しますがこれを府内と称して今に残ります。また西寄りに行政の別館を設けたのが今の別府となります。大友は名門ですし昔の地名が今に残っている歴史ある大分の街です。
看板には大分城址公園仮想天守イルミネーションが出ています。そもそも現在府内城には天守閣も無くどうやって天守のイルミネーションとはどうやってやるかが不思議でした。かつては四重天守があったわけですが大火で焼失していますしほとんど記録が残っていないです。

本丸跡に入ってみるとなんと元々の天守台の前に天守の形をした櫓が出来上がっています。びっくりです。石垣を含めて結構な高さがあったあことが伺えます。

全体が見たくて県庁の展望室に上がってみます。上から見下ろすと従来の天守台と仮想天守がよく見えます。確かに他のビルに負けないくらいの高さはありますね。

ちなみに展望室からは府内城全体の縄張りがよく確認できます。手前の大手門や各櫓の姿と堀の様子がよく分かります。

夜になって訪れてみますとなんと!本丸に立派な四重天守が現れました。これは驚きです。思ったよりも美しくて格好いいです。こういうイルミネーションは初めてです。

月と仮想府内城です。歴代の城主もこの月を見上げていたのでしょうかね。良いものを見せてもらいました。

さて朝の大分駅ですが大分駅にはニワトリの像が多いのに気付きます。これは九州で一番早く朝日が上がることで早起きの象徴とのことです。

さてせっかく帰省している間の楽しみは温泉です。大分市内にもたくさんありますがやはり本場の別府で下車して温泉入りに行くことにします。別府の良い温泉は無数にありますが、この正月三が日は無料になる共同温泉がありますのでそこに行ってみます。別府の竹瓦温泉です。

創立は明治12年竹瓦葺きの温泉であったそうですが後に瓦葺きに改修されたため「竹瓦温泉」と呼ばれるようになったとのこと。現在の建物は昭和13年に造られたもので、唐破風造りの屋根など今や別府温泉のシンボルになっています。中の撮影はできませんが普段は地元の人で賑う共同温泉で最近観光客にも人気です。この日は大きなザボンが湯船に14,5個浮いていてザボン湯を楽しむことができました。タダでこんな良い温泉に入れるなどなんて別府の人は幸せなんでしょう。ただ縁に座ってはいけない(お尻を付けてはいけない)など規則がありますので初めての方は要注意です。ルールを守って楽しみましょう。

さて次の目的地の小倉駅に着きました。大分からですと新幹線の乗り換え駅という印象が強いのですが降りてみるのは久しぶりです。駅とモノレールの駅が直結しています。

目指す小倉城は歩いて15分くらいでしょうか。紫川を渡ってすぐなんですがかなり個性的なNHKの建物が立ちはだかります。左に少し天守が見えていますが隠れてしまっています。

真っ先に虎の門口が見えてきました。ここはやり過ごします。

場内には松本清張記念館がありますが時間が無く見学できませんでした。

天守が見えてきました。関が原の戦いの戦功により入国した細川忠興が1602年に築城しましたが1837年に焼失、市民の熱望により1959年に再建されました。続100名城に登録されています。

四階と五階の間に庇が無く四階より五階のほうが大きい唐作りと呼ばれます。他には高松城、岩国城などが唐作りです。

早速登城してみることにします。

城の内部ですが当時の合議の様子などが良く再現されています。

館内は様々な展示物が若い来城者の興味を惹いています。

城の四階は市民の広場になっていました。

剣豪の宮本武蔵ですが細川忠興に誘われて小倉に滞在していました。その時に佐々木小次郎と巌流島で対決になったということです。

天守の展望台です。思ったよりは広いのですが新しいコンクリート感が強いです。

天守からの眺めです。小倉城庭園を一望できます。

大手門の入り口は立派で大きな石垣が使われており迫力があります。

八坂神社の入口には二基の大石が置かれています。細川忠興が1602年に小倉城を築くとき大谷から運んできましたが大石が動かなくなったため忠興は頭を手打ちにしてしまうと石は勢いよく運ばれました。村人は頭を哀れみ地蔵堂を建て供養したのですがこれを聞いた小笠原四代藩主忠総は「二つに割って運べば命まで奪わずにすんだ。 石の大小は勝負にかかわらぬ」と言ったという。これを「細川の大石」「小笠原の割石」 と言うことです。

中津口門の大石についての案内が書かれています。城にはいろいろと伝説や歴史があるものですね。

小倉城の藩主、細川氏の後の小笠原氏の別邸であった下屋敷跡に武家屋敷を再現した小倉城庭園です。

庭園を楽しむ時間的余裕がなかったために写真で我慢します。

近くに案内でこちらも写真ですいませんがギラヴァンツ北九州のホームスタジアムのミクニワールドスタジアム北九州です。観客席が近いのでよりサッカーの試合が臨場感があって楽しめそうです。立派なスタジアムなので早く上に上がって欲しいですね。

小倉駅に戻ってきましたがコンコース内にある立ち食いうどん屋ですが情緒ありますね。思わず食べるのはかしわうどんです。

九州内は水戸岡氏のおかげで個性的な特急が多く見れます。

博多に向かう途中のスペースワールド駅から見えるのは昨年末に閉演してしまったスペースワールドです。私は結局一度も行く機会がなかったです。

博多空港は今何かと工事中で使い難いですが新たにラーメン屋街が完成していました。

城を見るのも楽しい時間ですがその築城した武将の人としてを知るのも楽しみの一つです。細川忠興と言えば嫉妬深いとかガラシャの夫であったとかが有名ですが、第二の人生はこの小倉城にて過ごしていたわけですね。またその子孫は加藤氏後の熊本へと繋がっていきます。

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