桜の花も散ったころ、山口への歴史旅に出かけました。まず1日目は東の岩国市から入り西へ移動して防府市、山口市と観光し、2日目はいよいよ萩に移動し維新の軌跡を見て回ります。
1日目(岩国・防府・山口編)


まずは初めて岩国錦帯橋空港に入りましたが、たいへんコンパクトな空港ですね。


直通のバスで約30分、初めて見る錦帯橋です。日本三名橋の一つと言われていますが第一印象は「美しい!」でしたね。 これが原型は第三代藩主吉川広嘉が作った形状そのままというから驚きです。強度においても美観においてもほぼ完璧と言われています。

河原に降りて見てもそのカーブの美しいこと。あの吉田松陰も錦帯橋を見物していますが、彼の面白いのは橋よりもその側にあった訴訟箱の存在で身分に拘らず意見を言える仕組みが素晴らしいと賞賛していました。

橋を渡ってみましたが、あのアーチ状を出すために板を微妙にずらしているので段差が違って歩きにくかったですね。参勤交代の大名達もわざわざこの橋を渡ったということですが苦労したでしょう。


橋を渡り終えたところに鎮座しますが、 第三代藩主、吉川広嘉様です。


この辺りは吉香公園と言いますが、川あり噴水ありで緑も広がり非常に心地良い広場です。


公演の端には吉川家代々の墓所があり、初代広家から12代経幹まで (6代経永を除く) の当主や一族の墓51基が並んでいます。


さて岩城に登る為にロープウェイに乗り込みます。30人乗りの小さいゴンドラが20分間隔で発車します。

岩国城の天守閣です。関ヶ原の合戦直後に吉川広家が1608年に創建しましたが1615年の一国一城令によりたった7年で破却されることになってしまいました。 この城は昭和になってから立て直されたものです。


実際にあった天守閣の石垣は奥側に残っています。新しい天守閣は景観を考えて錦帯橋寄りに移された次第です。 

3層4階建ての天守閣は景観が素晴らしいです。錦帯橋をはじめ岩国の町並みがきれいに見渡せます。

お城の中は刀や鎧などの展示室になっています。

ロープウェイ山頂駅とからくり時計です。

山頂から約5分ほどで山麓駅に付きます。

気持ちが良いので公園を散歩しながら錦帯橋に向かいます。吉香公園の堀に面して立つ絵馬堂ですが、たいへん風情があり癒されます。

吉川家代々のお宝を保管・展示している吉川史料館です。毛利敬親の書状など興味深いものも見ることができました。毛利の両川と呼ばれた吉川元春画像や岩国藩を作った吉川広家画像などが見れます。

藩主吉川家歴代の神霊を祀る吉香神社です。本殿、拝殿、神門などが国の重要文化財となっています。


なぜかこの辺りにはシロヘビの生息地として天然記念物とされています。昔から白ヘビが多く見られた地域とのことですがさすがに数が減ってきたことで保存の活動を行っているそうです。

実際のシロヘビが観察できます。本当に色素が抜けたような真っ白いヘビに驚きます。


岩国出身の佐々木小次郎の像が建っています。

佐々木小次郎はこの『巌流ゆかりの柳』の辺りで母から授かった長光で柳とツバメ相手にツバメ返しを編み出したと言うことです。

さて防府へ移動する岩国駅のホームから花燃ゆ仕様の電車が見えました。

珍しい真黄色の電車が活躍しています。


ちょうど駅の近くではほうふ花燃ゆ大河ドラマ館がオープンしています。今回は時間が無いためパスします。

駅から約1キロを歩いて防府天満宮に向かいますが 、途中の幸せます通りを通りますが昼間なのに誰一人歩いていないのが印象的でした。

防府天満宮の石鳥居に到着しました。学問の神様、菅原道真公を祀り京都の北野天満宮、大宰府天満宮と並ぶ日本三天神のひとつです。

青銅鳥居と萩狛犬です。

防府天満宮の象徴とも言える朱塗りの桜門です。


本殿にお詣りしました。私は北野天満宮、大宰府天満宮、湯島天神と道真公を祀る天神様に数多くお詣りしていますので、ご利益も少なくないだろうと考えています。


天満宮と言えば境内に梅と牛ですね。牛は天神様のお使いですからね。
 
萩の石工が作ったことで萩狛犬と呼ばれています。禁門の変後会津藩士が北野天満宮でその長州ゆかりの狛犬を倒そうとしたところ突如雷が鳴り響き、天神様の崇りと恐れられて破棄を逃れたという逸話が残ります。


この天満宮の参道には萩往還の碑が建ちます。1604年の萩城築城後その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ街道として開かれたもので全長およそ53㎞あります。この道は参勤交代道として整備されたものですが、幕末には維新の志士たちが往来するなど、歴史上重要な役割を果たしてきた道です。

予定より大きく遅れて夜になってしまいましたが山口に移動して国宝の瑠璃光寺を訪問します。上山口駅から歩いて約20分、香山公園の中に五重の塔が浮かびあがってきました。

まさに西の京大内文化の象徴とも言える国宝の瑠璃光寺です。京都の文化に憧れた大内氏9代当主大内弘世以降、山口を中心に西の京と呼ばれる京文化が興隆します。

全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ室町中期における最も秀でた建造物と評されています。日本三名塔の他2基は法隆寺と醍醐寺の五重塔です。夜になってしまいましたがライトアップに感謝です。

塔は方三間で高さが31.2m近くですが見るとなかなか時代と歴史を感じます

近くで見上げると非常に大きくどっしりとして重量感がありしかも美しいです。天に向かってそびえ立つ美しい五重塔です。 屋根は檜皮葺で、塔身部は上層部に向かって細くなっており、非常にすっきりとした印象です。


う一度昼間にしっかり庭園と一緒に眺めてみたいですが、今晩移動しないといけないため次の訪問時に実現したいと思います。

また香山公園の中には史跡の枕流亭があります。場所は違いますが薩長連合を進める為、山口にやってきた西郷隆盛、小松帯刀と長州は木戸孝允、伊藤博文などこの枕流亭2階に集結し密議を行っていたと言われます。

昼間であれば建物の中に実際に入れたと思いますが夜になってしまい残念です。次の楽しみですね。

さらに山口県庁に寄りましたがここにも史跡を見ることができます。
今回毛利敬親公関連の史跡として唯一になりますが旧山口藩庁門があります。1863年藩主毛利敬親が萩より山口に移り現在の山口県庁の位置に山口藩庁を置いた、その山口藩庁の正門であった庁門です。

この説明板の通りで幕末から長い間、藩主毛利敬親公や多くの志士たちが往来するのを見守ってきたことでしょう、歴史を感じます。他にもこの県庁周囲には史跡が多いのでもう一日欲しい所です。また今度。

1日で岩国、防府、山口と3都市の観光を行うのはかなり無理があったと思いますが、何とか最後の目的地まで回る事ができました。 もっと時間が必要だと痛感するほど山口には歴史上のスポットが多いですね。
さあ明日は萩に移動します。 (39)