歴史ファンなら真田三代の生き様はなかなか興味をそそられますね。本拠地の上田市は何度も訪れていますので機会あれば九度山や大坂の陣の史跡を訪れたいと思っていました。今回その機会ができましたので成田空港からLCCにて関西空港へ向かいます。

成田空港第3ターミナルから出発です。
関西空港へはジェットスターの安売りセールを利用しています。990円とかありがたいですよね。
大阪城公園駅から城を目指します。

大阪城ホールでは斉藤和義のコンサートトラックが来ていました。

大阪城公園駅から青屋門の外堀を通り極楽橋を渡ります。この橋は秀吉の頃は豪華絢爛な橋であったと当時の絵で推測ができます。この堀から京都へも船で行けたとのことです。この段階で堀と石垣にかなり圧倒されてきます。

現在は内堀を船で回る御座船に乗ることができますがもし時間が合えば興味があったのですが、午前と午後の1日2回しかでていないとのことで今回は諦めました。

かなり暑いのでのんびりと泳ぐ亀をうらやましく思いました。

天守の北側になりますがこの辺りには山里丸の櫓があった場所です。あまり観光客もいない片隅に秀頼自刃の碑が建ちます。大阪夏の陣の最後に秀頼と淀君が最期を迎え豊臣が滅亡してしまった場所です。

本丸までやってきましたが現在のは1931年に建てられた8階建てのコンクリート天守です。今回は他に回りたいところがあるので天守には登らず正面から眺めるだけにします。相変わらず団体観光客や外人観光客がたいへん目立ちます。

大阪城にはその権威を示すように巨石がごろごろ散在して目を見張ります。本丸南の桜門には大阪城一の巨石が存在します。蛸石と呼ばれますが高さ5.5メートル、幅11.7メートルで推定130トンと言われますが、これ以上の巨石を使った城はあるででしょうか。

確かにタコの形にも見えますね。

内堀には空堀もありますが重なる石垣の反り具合もなかなか品があって美しいですね。まだこれで内堀ですからそのスケールの大きさも目を見張ります。どれくらいの石が使われたかも想像できないです。

空堀もなかなか魅力的ですね。
京都の豊国神社の別社として明治になって建てられた豊国神社です。太閤の銅像が迎えます。現在の大阪城は秀吉の頃の大阪城の遺構はほどんど見ることができないので秀吉公の心境も複雑でしょう。

秀吉、秀頼、秀長の3柱を祀っているとのことで、立身出世の御利益がありそうです。

有料ですが西の丸庭園に入って眺めた西面の天守閣ですが、石垣とのコントラストも美しいです。

きれいに装飾された天守閣です。

西の丸庭園は芝生が一面に広がり風と日差しが心地よいです。天守閣とOBPのビル群が同じ方向に見えますが400年を超えた融合を一画面で見ることができます。

庭園の奥には珍しい硝煙櫓(重要文化財)がありました。徳川時代の現存火薬庫でこの中に大量の火薬が保管されていましたそうです。徳川大阪城再建初期の頃は土蔵造りでしたがかつて落雷で大爆発を起したことがあるそうで石造で再建されました。中を見たかったですが見学は有料とのことで入りませんでした。

大手門にも見付石と名付けられた巨石が見て取れます。丸い形をしていますがこちらも推定重量が108トンでうまく巨石がはめこまれています。

大手口を出て森ノ宮駅方面へ向かいます。

南外堀にも美しい石垣と六番櫓を見ることができます。上空に飛行機が飛んでいるのが分かります。

城の大手口を出て森ノ宮駅をさらに南下して玉造方面に歩きますが、ここにある玉造稲荷神社を訪れます。

この神社の歴史は古いのですが途中豊臣時代に大坂城の鎮守神として祀られ特に秀頼、淀殿らの崇敬が篤かったと言われます。

境内にあるこの鳥居は秀頼公より奉納され建物です。石製鳥居としては四天王寺正門の鳥居と共に古いといわれている。
境内には秀頼公の銅像も建てられています。

大阪城から南に歩いて今でも真田山と呼ばれる地名の辺りに真田丸があったと言われます。大阪冬の陣で幸村はこの地で徳川軍を打ち破り後世に名を残すことになります。真田山には案内ボードが設置され歩いて回る事ができます。

真田丸の東端側ですか激戦の地に建つ三光神社です。ここが大阪冬の陣の激戦の地で徳川家康が大敗を喫し和睦に進むことになります。これで終われば豊臣家も生き延びれたでしょうが家康は再度手を変え豊臣を追い込むことになります。

 

 

境内には勇壮な幸村公の像が設置されています。その横には有名な真田の抜け穴と呼ばれる地下道の入口がありますが大阪城まで約1キロですが真偽のほどは不明です。

このあたりは実際に歩いてみると分かりますがなだらかな坂でアップダウンが分かります。現在学校や寺院が集まるこの場所に真田丸があったと言われます。この辺りにまさに幸村の足音が聞こえます。正面の白い建屋が明星高校で前に真田丸の碑があり左に心眼寺があります。

今年造られたばかりの真田丸顕彰碑です。大阪城の石垣にも使われている岡山県犬島産の自然石花崗岩が使われているとのことですが真田と徳川の家紋が入れられています。

石碑のほぼ正面にある心眼寺ですが、夏の陣の直後1622年幸村と秀頼と共に自刃した幸村の長男大助を供養するために創建された寺です。

明確に確定はできないのですが真田丸跡であろうとのことで城跡の碑が立ちます。

また近くですが円珠庵鎌八幡ですが、大阪夏の陣で幸村が戦勝祈願をした神社として有名になっています。この地に陣を構えた幸村がその木に「鎌八幡菩薩」と称して鎌を打ち込み祈祷したところ、大いに戦績を上げることができたと言われています。

さてさらに天王寺まで歩いてきましたが駅には昨年開業のあべのハルカスがそびえ建ちます。日本で最も高い超高層ビル(300m)で日本国内の構造物においても東京スカイツリー(634m)、東京タワー (332.6m) に次ぐ3番目の高さです。

このように天王寺駅の回りは近代的ビルが建ちますが少し歩くと名刹や史跡が残る歴史のパワースポットが点在します。まずは歩いて約10分の安居神社ですが幸村が家康を追いつめた後疲れ果ててここの境内で休んでいたところを忠直部隊に打ち取られたと言われます。

境内には休息する幸村の像が鎮座します。休むというよりは家康を取り逃がし性も根も尽き果てたというところだったのでしょう。まさに幸村終焉の地です。

向かいの一心寺は大きなお寺ですがここには大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで最前線に立ち討ち死にした本多忠朝の墓がありました。彼は酒を飲んでいたため冬の陣で敗退し家康に叱責され名誉挽回に奮闘し夏の陣で討ち死にしました。今では酒封じの神とされるようになったとのことです。

駅に近くに自然が溢れる天王子公園に来ましたがこの中には茶臼山古墳と呼ばれる史跡があります。山というほどの高さ(26m)では無いですが1614年の大阪冬の陣では一帯が家康の本陣となり、1615年の夏に陣では幸村の本陣となった戦いの舞台です。

大阪城の落城後には家康がここ茶臼山に登り勝ちどきをあげたと伝わります。

公園内にも戦いの案内板が立っています。

近くには有名な四天王寺がありましたが、あれっ鳥居!?

あの入江君はここ天王寺が地元だったんですね。

 

さてこの後は九度山を目指します。(つづく)