「東京大空襲から73年」
東京は昭和17年(1942年)4月18日に初めての空襲を受けました。
その後昭和19年(1944年)以降空襲は本格化し、昭和20年(1945年)3月10日に
現在の墨田区・江東区・台東区を中心とする下町地区にアメリカのB29 爆撃機
325機が来襲して大規模な空襲をしました。
この2時間余りの空襲で10万人ともいわれる尊い命が奪われたのです。
そして終戦を迎えるまでに100回を超える空襲が続き東京は焼け野原となりました。
東京都資料展のチラシより
先日(3月1日)すみだ郷土文化資料館(墨田区向島2-3-5)で観た東京大空襲の
展示の様子です。
①

②写真右下のボタンポッチンで拡大の映像で読みやすくなります。

③

④

⑤

⑥

⑦

⑧

⑨

対空砲火陣地が壊滅状態の東京を電柱とぶつかるくらいの低空飛行での焼夷弾投下
ですから狙い通りの目標への空襲です。
まして竹やりで落とすなんて本気に思っていたのでしょうか。
でもそんな不平不満言える世の中ではありませんでした。
私は空襲が激しくなるころ3歳でした。
ほとんど戦争の記憶はないのですが、どういう訳か写真②のB29を追っかける投光器
からの光芒は既視感があります。
この光の中に現れたB29に時たま数少なくなった高射砲から撃つのですがどれだけ
命中したか虚しい抵抗だったでしょう。
飛んでいる飛行機を散発的な高射砲弾など当てる確率は低いでしょう。
神風特攻機へのアメリカ戦艦からの何千発もの迎撃シーンを動画などでみるのですが
それでもやっとという状況です。
今の平和な日本はこのような多くの犠牲のもとにあるのです。
キナ臭くなってきた昨今の北朝鮮情勢。
北朝鮮の譲歩によって回避されそうです。
米朝の首脳会談がうまくいけばいいですね。