① 一本で紅白の花つける梅「春日野」

「脳梗塞の闘病記」その2
ICU(Incentive Care Unit)編
2月11日(木)ER救急室からICU (集中治療室)へ移動。
車いすで運ばれる最中もまだ「何で?一般病棟じゃぁないの?」と言う戸惑い。
この時点でも事態の深刻さどころか入院するという事さえ理解できない私でした。
通院で済ませる積りで救急車呼ばずに自転車で病院まで来たくらいですから。
ナースセンターを中心に7室ほどあるICU、どの部屋にも重症らしき患者さん。
いろいろな処置をする看護師さんの言うがままにするしかありません。
息子と入院支度品持ってきたかみさんには元気そうな私を見て一安心する様が見て
とれました。
それと引き換えに私は持って来てくれた寝間着に着替えて改めてことの重大さに
気付く有様です。
「トイレは必ず一人で行かないでナースコールするように。」と強く言われました。
夜中など点滴のせいもあるので約1時間半間隔でコールして車いすで連れていって
もらうのですが、いくら看護師の仕事とは言っても初日などやはり気遅れする面が
ありました。
でも「ぎりぎりまで我慢したら体にも悪いし、すぐに来られない場合もあるから遠慮
なく呼んでね。」と優しく言われ気が軽くなりました。
血圧や酸素量、血の流れなど図る機器のモニターを24時間監視している医師たちや
たった7人の患者なのに多くの看護師たちが立ち働く姿に私もすっかり患者モードに
ならざるを得ませんでした。
左内包後脚(右半身へいく運動神経の通り道)に小さな脳梗塞が見つかったのですが
見えなくなる視覚障害やしゃべれなくなる言語障害とかは無く右足や右手の動きの
不自由さだけの症状でした。
頭の回転は通常と変わらないので当初は考え過ぎてばかりいましたが
“考えても仕方がない、ここのスタッフに任せよう。“と切り替えてからは気楽な
入院生活を心がけるようになったようです。
でもね、さすがICUです。13日(土)にこんな事がありました。
13時頃隣室に搬送されてきた患者が16時頃には退室、亡くなったのです。
ヤバッです。
セキュリティも厳しく、きちんと消毒しないと駄目で、見舞客も親族のみで娘は
同じ名字でないので中にいたかみさんの紹介で入室できるほどでした。
3種の薬調合の点滴とか血の流れを促進する投薬などで14日(日)一般病棟へ転室です。
手足のもつれも右足での片足立ちがフラフラくらいで箸や筆も多少ですが使えるように
なってきました。
② メジロと梅、①②ともリハビリ兼ねて定点香梅園より 28.2.22撮影。

この日東京は春一番の荒天日とか、そんな世情も分からないながらも希望の持てた
日でした。