限定記事

   「平成7320日 午前8時~10時」
 
3月は大参事の多い月です。
70年前の東京大空襲。
20年前のサリン事件。
4年前の東日本大震災。

中でも私の人生に一番影響及ぼしたのは サリン事件 です。
13人が死亡し、6000人以上が重軽傷を負った事件です。
被害人数から言えば大空襲や大震災に比べれば大したことありませんから
えっ、と思われるでしょう。
それは私がサリンでの被害者だからです。

20年立ってやっと本件に向き合える感じですのでお話してみたいと思います。
 
平成7320日、始業940分の会社でしたが社長や役員との幹部会議に出る
中間管理職として部下に指示した資料の確認のため早出したのです。

会議室設定した茅場町の会社へ行くため、8時前に秋葉原から地下鉄日比谷線に
乗りこみました。
次の小伝馬町駅着く前に「前車が爆発おこしたので小伝馬町で運転打ち切ります。
皆さんすぐ退避して下さい。」と車掌さんの車内マイクからの悲痛な声。
駅に着いても当車でないので争う気配もなく皆さんぞろぞろ、私は最前部の
2扉目にいたので降りながら前を見ると前車が見えるくらいの位置で止まって
いるのが見えました。
ホームへ降り立ったらそこそこに座り込んだり寝そべったりする人、人・・・
でも私は状況つかめないまま地上へ出ました。

ですが出入口から通りに多くの方が横になっていました。
私たちの電車が直撃されたという意識はないのでどうなっている何て分かる筈
ありません。
道は封鎖されていますのでタクシーどころではありません。
今思うとこの道路封鎖の処置はどういう訳か見事なくらい早かったですね。

会社へは顛末を連絡し会議中止をするよう依頼しました。
明るいはずの外界が夕暮れ時のように薄暗いのですがそれも気にすることなく
茅場町へと小一時間歩いて辿り着きました。
行く道々負傷者が助け助けられながらいましたね。

会社ビル前の広い新大橋通りも封鎖され消防車、警察車と茅場町駅からの負傷
乗客らでてんやわんやの騒ぎです。
 
エレベータで会社へ・・・
室内に入るとテレビのライブ映像で悲惨な状況が映し出されていました。
「(すたこら)**、大丈夫!」と声掛けられると同時に吐きそのまま倒れて
しまいました。
 
               続く予定・・・(続けられるかな。)