「 東北被災地へ絆の旅」 ⓸陸前高田編
陸前高田 奇跡の一本松
いよいよあの話題を集めた奇跡の一本松です。
残念ながらバス車内からの眺めとなりました。
① 造成中のこういう風景が続きます。

② ダンプが行きかいます。

③ こんな奥地まで浸水したとは。

⓸

⑤ 4階まで浸水されたビル。

⑥ 手づかずの被災地区。

⑦ まだ架設状態の商店。

約7万本あった松原が最大17mの高さの津波に壊滅の中耐えた一本。
その後枯れ死したため存続の是非を巡って賛否両論渦巻く中復興を象徴するシンボルと
して、モニュメントとして残されました。
⑧ ぽつんと立つ一本松(中央)、被災したユースホステルはそのままです。

⑨ 瓦礫をダンプで運ぶのは面倒と造られたベルトコンベァ。

⑩ 瓦礫と重なり埋もれた松になっちゃった。

⑪ その下を通過。奥は運ばれて来た瓦礫の山。

この一本の松残すのに1億五千万円かかったそうです。
で、文句を言いそうな私ですが今回は復興のシンボルとして存続されて良かったのでは
ないかという意見です。
「そんな大金をつぎ込んでもったいない。」とか
「他の復興事業に回せばもっと有効だ。」とは思いません。
この驚異的な生命力に対する応援歌としての寄付などの1億5千万円だからです。
ですから陸地奥までさらわれて横倒しになったりビルの屋上に載った船や骨組ばかりに
なった庁舎などを「それを見るとトラウマになる。」と解体した意味が分かりません。
この一本松や各地にある浸水ラインなどなら惨状を思い出さないとでも言うのでしょうか。
広島の原爆ドームや特攻隊基地跡などはどういう位置づけをしたらいいのでしょう。
「もう戦争は起こすまい。」という気持ちが強くなるのと同じで今ここに生きる人たちに
地震津波対策することや対応姿勢が日常的に芽生えるのではないでしょうか。
また後世の方に知らしめて警鐘、教訓にすることにもなるのではないでしょうか。
大震災で何の被害もなかった部外者の私の勝手な言い分だと簡単に片づけられちゃうの
かな。
続く