書庫 伝統もの・神輿
「 日本一に隠されたエピソード 」
前号の善養寺(東京都江戸川区東小岩)の影向(ヨウゴウ)の松が日本一になって
いるという過程が同寺の掲示板ではサラッとしか述べられていません。
でもウィキペティアで検索するとその間のエピソードが興味深かったので、転載して
みました。
一部省略しています。
① 影向の松。

(善養寺の影向の松は)600年以上の樹齢に加え、繁茂面積の広さと整った樹形で
「日本で最も古いマツ」「日本一の名マツ」と長く名声を博し、1926年4月には東京都の
天然記念物に指定された。
しかし、1970年代後半になって「ライバル」の存在が判明した。
善養寺の当時の住職が寺の門前に立てていた「日本一」という看板を偶然見かけた
運転手が、「私の出身地、香川県志度町にある『岡野マツ』こそ日本一です」と知らせてきた。
その知らせを聞いた当時の住職は、岡野マツが生育する志度町の真覚寺へ出向いた。
岡野マツは樹齢550年から600年といわれ、樹高は8メートル、枝張りは33メートルあった。
住職が実測してみたところ、わずか数センチメートルの差で岡野マツの枝ぶりの方が
大きかった。
繁茂面積は互角だったため、住職は「形の良さでは影向のマツが上」と言い聞かせた
という。
2本の名木をめぐる争いは、マスコミにも注目された。
テレビの情報番組が影向のマツを「日本一」と紹介したことに対して真覚寺側が抗議し、
善養寺側もラジオ番組に出演して「影向のマツこそ日本一」と訴えた。
双方とも一歩も譲らず、論争は1年余りにわたって続いた。
この論争は、思わぬ形で1980年5月に決着を迎えた。
善養寺で大相撲の行司の法要が行われた際、参列した志度町出身の行司と住職が
マツをめぐって口論になってしまった。
それを見かねた立行司の木村庄之助が仲裁に入った。
庄之助は、「どちらも日本一につき、双方引き分け」と裁いた。
同席した地元小岩出身で、当時日本相撲協会の理事長を務めていた春日野親方も
「双方を東西の横綱に推挙する」と庄之助の裁きを後押しした。
この「名裁き」により善養寺と真覚寺の争いは解決し、住職も庄之助の計らいに感謝した。
その後東西の横綱マツとして、影向のマツと岡野マツは名を連ねていたが、1993年5月、
岡野マツは枯死してしまった。
残された影向のマツも、1970年頃から葉の勢いに衰えが見られるようになっていた。
窮地に陥ったこの名木を救おうと、地元の人々が立ち上がった。
2002年から樹勢回復に取り組み、2011年7月にすべての工事が完了した。
影向のマツは、1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」に合わせて企画された
「新日本名木100選」に選定された。
2011年9月21日には、国の天然記念物にも指定されている。
②

大の大人達が厳粛なる法要の席で喧嘩、その挙句勝敗を判定する行司の登場。
以前アップした金町の縛られ地蔵の大岡裁きのエピソードといい、こういうことを
知ると古き文化遺産を見るのも楽しくなりますね。
国の天然記念物になったのも今から2年前というのも感慨深いものがあります。