大 震 災 被 害 地 支援旅行 編
             「 国営 ひ た ち 海 浜 公 園 」  そのⅢ
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前号の続きで、水戸偕楽園で梅とともに忘れてはならない 好文亭 です。
 
     好文亭
天保13年(1842)の偕楽園の小高い丘に建築された3階建ての水戸城の出城も
兼ねた宴会用の建築です。
 
  ① 
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      ② つるべ井戸。(子供の頃、よくスイカとかトマト冷やしたものです。)
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  ③ 供の御殿女中の控えの居間である 桜の間。
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  ④ 大正、昭和天皇が皇太子時代お泊りになったり休息なさった 菊の間。
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  ⑤ 36畳の大広間から。
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  ⑥ 千波湖とか園外の梅林も一望。
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この建物は昭和20年の水戸空襲で消失したものを同33年復元したものです。
水戸城の防備の弱点を補いかつ遊び用の設備なんて考えたものです。


 
     国営ひたち海浜公園
“ 爽やかな潮風と花と緑いっぱいの都市公園 ” のスローガンで四季折々の花木で
人気の公園でした。

特にコキアの時期など本当に見事な眺めでした。

でもあの2年前の原発事故で一変、総面積350ヘクタールという途方もない広さの
公園もゴースト化していました。
 
  ⑦ 早咲き水仙の乱舞。
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    ⑧ 同。
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  ⑨ 寒咲き菜の花。
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    ⑩ 同。
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    ⑪ 次なる花を栽培中。
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  ⑫ ここだけでも2000台収容の駐車場がガラガラ。
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団体さんは私達の3台の観光バスのみで、広いガーデンエリアには我々御一行
150名とパラパラの個人客のみ。
  
でもいろいろな資料みましたら仕方ないですね。
法律で認められた被爆数値は 1時間あたり0.11μSv以下となっています。
ところが本公園は、ほとんどの場所でそれ以上を記録し、高いところで1.6μSv 
平均的には0.46μSvとなっていますから。
 
私なんかもう年だからと強がってはいましたが、こういうデーターつきつけられますと
ガランとした不気味さもありやはり気持ちのいいものではありませんでした。
 
                                   支援旅行 編 完