真顔ここまで、太平洋戦争について勉強してきましたが、なぜ日本はもっと早く降伏し

て戦争を終わらせられなかったのでしょうか。

1943年9月、同盟国のイタリアが降伏、

1945年(昭和20年)4/30にヒトラーが自殺し、5/7にドイツも無条件降伏。

1945年4月、日本の敗北が必死となった段階で、小磯内閣の総辞職を受け、戦争終結

の任務を期待され、総理大臣に枢密院議長の鈴木貫太郎が就任しました。

(鈴木は海軍出身で軍部から警戒されにくく、7年余りも侍従長をしていたので天皇の信頼も厚かった。

しかも、侍従長時代の二・二六事件では、襲撃され瀕死の重傷を負った経験をしていた。)

徹底抗戦派の強硬な姿勢に、即時講和を主張することはできませんでしたが、

軍部の本土決戦の準備と並行して、鈴木内閣はソ連を仲介役とする和平工作を進めよ

うとしていました。

 

原爆投下まで

1945年2月、ヤルタ会談

クリミア半島のヤルタで、アメリカ、イギリス、ソ連の3国は首脳会談を開き、

ソ連の対日参戦を密約していた。

チャーチル首相(英)ルーズベルト大統領(米)スターリン書記長(ソ連)

米英ソの指導者たちは、戦後世界のリーダーシップをどこが採るかをめぐって、お互い牽制していた

 

日本では、ひそかにソ連を仲介役として依頼するため、外務省はソ連の駐日大使に、

広田弘毅元首相を交渉に向かわせたが、進展がなかった。既にソ連は、2月のヤルタ

会談で極東の権益獲得を条件に対日参戦を決めており、日本と戦う準備を着々として

いた。日本側の打診がスターリンに報告されたのは、ポツダム会談に向かった後だっ

た。

 

1945年7月26日、ポツダム宣言が出された。

ベルリン郊外のポツダムで連合国の会談が行われ、アメリカ・イギリス・中国の名で

日本の無条件降伏を求める

7月27日、日本は最高戦争指導会議と閣議を開催。外務大臣の東郷茂徳は、ポツダム

宣言を拒否すると極めて重大な結果を生むと発言。しかし、陸海軍は反発し、拒否の

声明をだすことを求めた。結局、鈴木首相は、記者会見で「黙殺」という表現を使っ

て談話を発表。これが海外では、「黙殺」が「reject(拒絶)」と報道された。

 

アメリカ、原子爆弾の投下決定

日本政府が対応に苦しんでいる間に、アメリカのトルーマン大統領は、原子爆弾の

投下を決定し命じた。(アメリカでは、ルーズベルト急死後、トルーマンが大統領に就任してい

た。ポツダム宣言の拒絶が原爆による核攻撃を正当化した。)

8月6日、広島にウラニウム型原子爆弾、

8月9日、長崎にプルトニウム型原子爆弾が落とされた。

日本は、世界で唯一の被爆国になった。

【1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲】

8月8日、ソ連はまだ有効期限内にあった日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦布告

し、満州・朝鮮に侵攻した。

 

ポツダム宣言の受諾

こうした情勢下で行われた御前会議で、政府と軍首脳部は意見が一致せず、決議を

まとめきれなかった。鈴木首相は、政府上と軍事上の最高責任者である昭和天皇

最後の裁断を求めて、ポツダム宣言の受諾が決定した。

政府は14日、連合国軍側に通告した。

 

1945年8月15日正午、日本の降伏を国民に伝えるため、昭和天皇自らが終戦の詔書を

読み上げるラジオ放送「玉音放送」が行われた。

【玉音放送を告知する、当日の朝日新聞記事】

天皇の声で国民に直接伝えることで敗戦の混乱を避けようとした。天皇の朗読を

レコード盤に録音し、放送で流す方法がとられた。軍部には本土決戦をとなえ戦争

を続けようとする勢力もいたので、放送局まで天皇が出向くのは危険だったからで

ある。実際、降伏に反対する一部の陸軍将校と近衛師団が宮城内に乱入し、録音レ

コード盤を奪おうとする事件も起きた。

玉音放送は、日本全国、中国占領地、満州・朝鮮、南方諸地域に流された。詳しい

戦況や終戦に至る経緯が説明されることはなく、軍や国民を刺激しないように終戦

という言葉を使用したと外務省の担当者は証言している。

これで、4年にわたった太平洋戦争は終わった。

 

【1945年9月2日、戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印する重光 葵外相】

 

 

悲しい原子爆弾は、水素爆弾とあわせて核兵器と呼ばれます。原子爆弾は各国で研究さ

れていましたが、アメリカがいち早く完成させ、広島と長崎に投下されました。

エネルギーが熱となって放出されるので、それが上昇気流となり、巨大なきのこ雲

となるのです。爆発力の強さや熱線はもちろんですが、原爆の恐ろしいところは、

まき散らされた放射性物質によって、長い年月、人体に影響がでることです。

 

先日、『時をかけるテレビ』という番組で、1984年に放送された~世界の科学者は

見する、核戦争後の地球~というのを見ました。100人の科学者の厳密なデータと

推定に基づき、アメリカとソ連が冷戦の時代、もし核戦争が起こったらどうなるかを

シュミレーションした番組でした。

広島の80倍という原爆を、東京タワーに落とせば、15㌔圏内でも生き残れるのはわず

かだそうです。世界の大都市に当てはめても、同じようなことが言えます。そして、

一番衝撃だったのは、ヨーロッパで核戦争がおこった場合は、核爆発によって大気圏

上層部にばい煙が放出されて広がり、大気の流れが変わり、地球全体に広がり、太陽

が遮られるため、結果的に地球は凍結。

 

40日目には、ニューヨークで-15℃、パリで-20℃、サウジアラビアで-16℃

東京は-5℃、これが半年続くのか、3年続くのかはわからない。

その後は、紫外線と有毒ガスの被害で、生物や植物は死滅。

核戦争の全ての影響が去った時、ある科学者は、石器時代のようになると予測、また

ある科学者は6億年の昔(原始的な生物が現れた頃)、その風景は月面にそっくりと

予測していました。

  

2023年の核保有国は、10か国とされています。この番組が作られたころより倍に増

え、その威力も増しています。核の開発をしている国もあると言います。

現在も戦争が起こり、核を盾に脅している国もあります。

実際に核を使ってしまったらどうなるのか・・世界の指導者たちは正確に知っている

のでしょうか。そして、世界中の人々は、もし核のボタンを押してしまったら、地球

がどうなるかを、知らなくてはいけないと強く思いました。

2021年発行の核兵器禁止条約には、70カ国が批准していますが、日本はアメリカの

核に守られており、批准はしていません。国の安全が核兵器で守られるということを

どう考えたらよいのでしょうか・・

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。

【使用した画像は、ネットからお借りしました。ありがとうございました。】