管理入院と産後の入院で、あわせて1ヶ月10日ほど病院暮らしだった。


管理入院中は、朝昼夜と助産師さんが赤ちゃんの心音を聞きに来てくれる。


子宮の下の方にいる子(双子・兄)は、頭が恥骨の辺りにスッポリと
はまっていて、大体定位置にいたため心音もすぐにつかまえられた。


子宮の上の方にいる子(双子・妹)は、朝は右側にいたのに
昼は左側なんて具合に、よく動き、心音を聞くドプラを当てると
グリッーと動いて抵抗するやんちゃな子だ。


赤ちゃんの元気な様子が見られるこの時間がとても好きだった。


お腹がつかえて一度に食べられないというとご飯をおにぎりにしてくれたり、
預けている4歳の長女のワガママぶりを話すと、

ママの立場の助産師さんから、活きたアドバイスをもらったり。


困っていることや気がかりなことを話し合えるので心強かった。


週1回の先生の検診では、エコーでじっくりと

赤ちゃんの様子を見てもらえるし、

管理入院したおかげで、心身ともに元気で出産できたと思う。


産婦人科病棟には、色んな妊婦さんがいた。



私が入室した6人部屋は、最初、切迫早産の妊婦さんが3人入院していた。

みんな24時間ウテメリン点滴をしていて、

両腕は点滴の青タンだらけだったけど、
元気で明るく、学生の合宿生活のような雰囲気だった。


みんな35週まで頑張って退院し、予定日前後に舞い戻り、
元気な赤ちゃんを産んで帰った。



子宮頸管無力症で子宮口をしばる手術をして、出産までの3ヶ月間、
ベッドに寝たきりで過ごしていた妊婦さんもいた。


出産前には点滴を外していて、洗面所でよく出会った。

話してみると、主治医が一緒で、
「そろそろ産んだほうがいい」と言われている者同士だった。

結局、一緒に陣痛室入りして、彼女が1時間早く出産した。



私と予定日が1週間違いの2卵性双子の妊婦さんが、緊急入院してきた。


9ヶ月まではいたって順調だったのが、32週の検診を受けたら、
子宮口が開いていて、赤ちゃんの足が出かかっていたそうだ。


即、NICUがあるこの病院に搬送され、子宮口をしばる手術をした。

33週まで妊娠継続して、帝王切開で無事、双子を出産。
今はNICUで私の双子とベッドを並べて、順調に成長している。


その妊婦さんとも、「やっぱり双子は何が起こるかわからないね。」

と話し合った。
心配しすぎることはないけれど、大事に大事を重ねるくらいで

ちょうどいいのかもしれない。



24週(7ヶ月)で破水し、出産してしまった妊婦さんもいた。

産まれた赤ちゃんのその小ささにショックを受けて、
パパと一緒でないと最初の面会にも行けなかったようだ。


NIUCでその赤ちゃんに出会った。


本当に小さくて、胎児といった感じの赤ちゃん。
でもその小さな心臓は力強く動いていて、全力で生きようとしている。



NICUにいる赤ちゃんはみんな小さかったり、未熟だったりするけれど、
懸命に全身で生きようと頑張っている子ばかりだ。


親は、子どもを育てるものと思っていたけれど、
本当は、自分の力で育つ子どもを見守って
手助けをしているだけなのかもしれない。


子どもを妊娠して出産することは、

ママも赤ちゃんも本当に命がけの大仕事で、
産まれてきた赤ちゃんの命は何よりも尊く、大切なものだ。


あたりまえに分かっていることだけれど、ギリギリの命の存在を見て、
その尊さとありがたさが身にしみた。


これから先、育児がイヤになったり、しんどくなったりした時に、
私を励ます記憶になってくれることだろう。



< 追記 >


NICUでは、赤ちゃんとその家族のプライバシー保護のため、
他の赤ちゃんを見たり、眺めたりすることは規則で禁じられています。


入院患者の容態を詮索することも不文律で控えられています。


私が見聞きしたことをブログの記事にすることはいいのだろうかと
考えました。


ただ私自身の記憶として忘れたくない出来事だったので
勝手ながら文字として残しておくことにしました。


ご了承ください。