「道」 | 事実追求 真実探求

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ちょっと立ち止まって、考えてみよう

石井慧がJUDOをやめるようだ。
どうしても、井上康生と比較してしまう。
もちろん柔道家の井上である。
井上も競技者としては引退したが、
「柔道家」としていいだろう。


マスコミの報道を見る限りであるが、
人間的には、井上の方が圧倒的に上に見える。
甚だ失礼な話であるが。
個人非難や個人攻撃はするつもりもない。



さて、前にも書いたかもしれないが、
日本には「道」がたくさんある。
柔道、剣道、武道、合気道、
茶道、華道、書道...。


ここでの「道」とは何か?
前に考えたことは、
はじめがきちんと決まっているもの。
たいていの場合、「礼」に始まる。


今はこれよりも、広く考えている。
「道」とは、
自分を磨くもの、
自己研鑽するもの、
心を鍛えるものだ。


技をみがく、体を鍛えることもあるが、
それは「道」にとって、
手段にすぎない。目的ではない。



一生懸命(一所懸命)取り組むことで、
心身が鍛えられる。
そして、他人、競争相手、
(人以外も含めた)周囲への
感謝、尊敬の心が生まれてくる。


「JUDO」とすると、全てとは言わないが、
競技としての部分が色濃くなる。

この意味で井上康生は「柔道」で、
石井慧は「JUDO」だ。




でも、これは何も、
やや特殊と見られる柔道、剣道、
茶道など、ことばに「道」の
入った世界だけに限らない。


一般に仕事と認められているものならば、
自分を磨くもの、自己研鑽するものになりうる。
「道」になる。


続きは明日以降。