星ご訪問 にふぇーでーびるありがとうございます爆  笑

イルカこのBlogはってもらうを目指していますやしの木

 

2026年の首里城再建へ

沖縄は頑張っています❣

 

キラキラ動画で見る今の首里城再建↓キラキラ

 

ぐすーよー 久しぶりだねー ちゃがんじゅーね?

(皆さん 久しぶりですね。 お元気でしたか?)

 

今回の本題でーすNEW 

※ 写真、動画は全てインターネットから引用です。

 

琉球の道

 

今では宇宙にまで人が住んでいる時代、1429年頃には誰も想像できなかったでしょう。

 

 地球で一般的に使用される最速な乗り物は「飛行機」ですね飛行機。1429年当時は「船船です。風と潮を上手に操ればこんなに早く移動できる乗り物はありませんでした。後の大航海時代を見てもわかる通り、人類は「船」を活用することで世界中のあらゆる大陸とつながりを持つ事に成功しました。ウシシウシシ

 

1972年、沖縄は念願のお祝い本土復帰」を果たします。その復興記念事業の中に「海洋博覧会」があったのをご存知ですかはてなマークはてなマーク世界中の人々が沖縄を訪れ海洋民族の貴重な展示物を見て回りました。その跡地があの「美ら海(ちゅらうみ)水族館」を有する海洋博記念公園です。

 

※ 海洋博記念公園(沖縄県国頭郡本部町石川424番地)下矢印

 

※当時の海洋博覧会のロゴ下矢印

 

 今までのBlogでも紹介したように、琉球民族は王国が成立する前から、世界的に見ても非常に長い期間農耕を行わず、海で漁をしていた民族です。そこで採れた貝、特に「ヤコウガイ」と呼ばれる妖艶な輝きを放つ貝を主力に各国々と交易を行っていました。王国成立後は本格的に中国大陸を中心に様々な国と交易を盛んに行い、金品を初めとした技術や文化を吸収していきます。今でこそ農業も盛んな沖縄ですが、元々は明らかな海洋民族で、それに因んで「海洋博覧会」は開催されたのです。今では観光客に定番の「海人(うみんちゅ)Tシャツはこんな所に起源があるかもしれませんね。魚しっぽ魚からだ魚あたまイルカ

 

※ヤコウガイのペンダント下矢印

 

※うみんちゅ(海人)Tシャツ下矢印

 

 

愛知県半田市に本社がある「ミツカン」をご存知ですかはてなマークはてなマークそうあの「お酢」や「ポン酢」で有名なミツカンです。彼らは愛知県の半田市で江戸時代にお酢を製造し、船に乗り江戸まで運びました。江戸前寿司を支えていたのはなんと愛知県半田市で作られたお酢だったのです。このように当時「船」は非常に重要な移動手段だったのです。

 

※「酢」「ポン酢」で有名な会社ですね

寿司寿司寿司 寿司寿司寿司 寿司寿司寿司 

おいしいよねぇ( ´艸`)

 

お酢のミュージアムがあり見学できます

(愛知県半田市中村町2丁目6)下矢印

 

 

話は変わるようで変わりませんがおいでおいで

 

琉球には「士農工商」が通用しません。琉球の身分制度は2つのみ「士族と百姓」です。「士族」は主に国に係わる仕事を担当していました。人口全体の約30%の人々です。その他は「百姓」で約70%です。面白いところは「百姓=農業」ではありませんでした。農民・職人・商人・賎民・穢多・非人は皆、百姓に入ります。その中には士族よりも大儲けしていた百姓がいました。どうやって儲けていたかは後程・・・キラキラキラキラキラキラ

 

 

琉球王国の道は首里城の守礼の門を起点に中部へ続く道、北部へ続く道等々、全部で5つの道が主要な道としてあったそうです。まさに「全ての道はローマに通じる」のように各エリアとつながっていたそうです。この道の名前を「宿道(=すくみち)と呼び王国の重要な役割を果たしていました。例えば首里王府が出した通達文書、これはこの「宿道」を通して各エリアに伝えられました。ですがこの道は舗装状況が良くなかったり、アップ・ダウンが激しいなど物を運ぶには狭くて険しく、大量の荷を運ぶ為の物流には向いていませんでした。

 

王朝時代の宿道

 

※北部の宿道(すくみち)この道を歩いてゆけば首里城にたどり着きます

 

※浦添(うらそえ)市の宿道

 

 

そこで活躍したのがジャンク船と呼ばれる船、中国の人々があみ出した船です。木造で水没しにくい構造を持ち、風をとらえる「帆」が付いています。中でも大ヒットしたのが「馬艦船(まーらんせん ※マーランは中国語で「船の意味」)です。海の上を馬のように走るというのが語源だそうです。ジャンク船の中でもスピードが出て安定感があり、しかも大量の荷物が積める。さらに船底が浅いためサンゴに当たらず座礁しにくいと大変な優れもので、琉球の地形にはピッタリの船でした。160ある島々を結ぶ全ての公用船をこのタイプの船へ変更することを王府が推奨したほどです。

 年代的には1700年代。この馬艦船を多く所有して運搬業務を商いにする人々がいました。それが上記した一部の百姓達です。中には個人交易は禁止されているにもかかわらず「船が流された」と虚実の報告をして中国に渡り、個人的に買い付けを行う強者まで現れました。首里政府も経費削減のため、運搬業務を次第に民間に任せるようになります。大量の「租税の運搬」や公的文書の輸送、島流しの刑にあった罪人の運搬など、非常に多くの仕事があったようです。琉球処分後もしばらくの間この航路は使われ続けており、当時のノウハウが現在の航路につながっているやもしれません。

 

琉球の象徴ともいえる「進貢船(しんこうせん=朝貢用の船)」も含め、下の写真では見えませんが、船体に目のようなものが描かれています。沖縄県章によく似た形をしていますが、繋がりは無く、琉球では鳥の、中国では龍の目とされており、大量の魚を見つける為、漁船の目は海底を見つめるように、進貢船等の長期航海船は遠くの大陸を見るように前を向いて描かれたそうです。

 

やしの木やしの木やしの木ハイビスカスキラキラキラキラハイビスカスやしの木やしの木やしの木

 

※「馬艦船」下矢印

 

「進貢船」 復元したものです確か全長は31mほど下矢印

 

 

私の故郷、名護(なご)市がある北部から出る馬艦船は特別に「山原(やんばる)船」と呼ばれていたそうです。今帰仁(なきじん)村の運天(うんてん)港から出航していたのかもしれませんね。

 

 

沖縄の事考えると「」するさー🛫

 

 

今週も じゅんに(誠に) にふぇーでーびたん(ありがとうございました)。

 

 

我が故郷名護(なご=75)市は日本ハムファイターズのキャンプ地の一つです。

野球ファイターズのHPはこちらから下矢印

 

 

私たち 琉装している琉球民族 やいびん(=です

 

 

-- 米軍基地問題 --

地位協定の見直しを行い、辺野古の新基地建設を止めると

9415億円の税金の節約が可能になります。

コロナで困っている国民にお金を配る財源になるさー星

 

私の故郷名護市長選の裏で

何が行われているか知りたくないですか??

根深い基地問題の真相はこちらの記事で確認できます。下矢印

 

 

155億円全部日本国民の税金です

 

・うちなーんちゅうしゃーてないびらんどー

 

・良く分かる沖縄の米軍基地問題下矢印

 

・沖縄だけじゃない米軍基地問題

新宿駅の真上で低空飛行、日本のヘリなら違法行為です。


・東京新聞 木更津のオスプレイ騒音問題

 

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「バーチャル沖縄」の風景( `ー´)ノ

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