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8月の首里城はこんな感じでしたー下矢印

 

9月の沖縄はこんな感じです(^^)/下矢印

 

 

 

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※ 写真、動画は全てインターネットから引用です。

 

本日は、「沖縄といえば国際通り」を改めてご紹介(^^)/ 未だに紹介していないことに今更気付いた私です(笑)。今週も宜しくお願い致します。

 

・奇跡の1マイル

那覇市の県庁北口交差点(パレットくもじ前交差点)から安里三叉路(あさとさんさろ)にかけての約1.6kmの通り。沖縄県で最も賑やかな通りであり那覇最大の繁華街こそ「国際通り」です。

太平洋戦争時に那覇市内も焼け野原になってしまいました。何もない所から沖縄一の繁華街に成長したことを「奇跡の1マイル」と呼び称される事になりました。

 

 

・もともとはショートカットの道

昭和8年頃、旧那覇市街地(那覇港周辺)と首里を最短で結ぶために整備された道でした。当時はここ地名である牧志(まきし)から「牧志街道」と呼ばれた郊外の一本道でした。畑や湿地帯が広がるのどかな光景だったそうです。とは言え、それから徐々に人は住み付き田畑が開拓され、村が形成されるようになって行きました。元々那覇は他地域に比べ人口が多いですから、それなりに発展していきます。地上戦が始まるまでは、の話ですが・・・。

 

 

・転機はくしくも沖縄戦だった

上記したように、沖縄戦時にはこの「牧志街道」も例外なく、焦土と化しました。何もない野原に逆戻りです。戦後すぐに米軍により旧那覇の中心部は接収されてしまい、これにより多くの難民状態の人々が生まれてしまいました。まずは壺屋地区の窯業業者たちが産業復興を名目として入市。続いて牧志地区の瓦職人たちも入市が認められました。ほかの人々もみな窯業関係者や職人の親戚縁者を名乗って市内に入り始め、壷屋から牧志にかけての「牧志街道」近くに居ついて周辺の人口が一気に増えます。そして自然発生的にヤミ市が広がりました。

 

・「国際通り」名前の由縁

ヤミ市などで生活が落ち着いてくると、今度は娯楽が花開き始めます。「牧志街道」には芝居小屋が建ち、1948年(昭和23年)には、米軍の物資集積所があった「牧志街道」沿いの土地に「アーニー・パイル国際劇場」という映画館が開館(現在のてんぶす那覇付近)。連日大変な賑わいを見せた。この映画館にちなんで「国際通り」の名が定着しました。

※アーニ・パイル国際劇場下矢印



※ 劇場が建っていた場​所下矢印​​​​​

 

※ 【公式】国際通り商店街HP下矢印


 

・そして「奇跡の1マイル」へ

1953年の牧志街道改修工事を契機に店舗が多数集まり、大繁華街を形成。このころより沖縄復興のシンボルとして「奇跡の1マイル」と称されるようになりました。1マイルは国際通りの長さ約1.6Kmを表しています。

※1950年後半の国際通り

 

 

・徐々に観光道路へ

元々、地元民の為に発展してきた通りですが、ここから変化が起きます。次第に地域の繁華街としての役割は周辺部へ移行し、大型ショッピングセンターは駐車場を確保できる郊外に移動、生活に密着した店舗はその裏通りにある平和通りやその周辺に移行しました。

※平和通り

国際通りの方は、その名が著名になるにつれ観光客が増え、店舗も次第に観光客向けのものが増加。那覇新都心など周辺地域の開発もあり、現在では沿線事業者の大部分は土産物店や有名飲食店、ホテルなどであり、ほとんどが観光客向けの通りの様相に変化しています。また、同系列の店舗で2号店・3号店などが同じ通り上に存在しているのも特徴的です。

 

 

・国際通りとコロナ

世界的に猛威を振るうコロナウイルスの影響で、沖縄も大打撃を受けています。観光客に依存する形で発展していた国際通りも残念ながら随分シャッターが目立つようになりました。一刻も早いコロナの収束と今後は昔のように地元消費を取り入れたバランスの良い国際通りの運営が不可欠になるやもしれません。(`・ω・´)bガンバレ 国際通り

 

※ 人が激減した国際通り

 

※悲惨、でもこれが今の国際通り(8/5日撮影)

 

 

・最後に・・・。

こんな状況の沖縄ですが、ただじゃ転ばないのがさすが長年観光業で栄えた沖縄県。とあるブームに目を付けたベンチャー企業が今年の4/30日にOPENした。その名も「バーチャルOKINAWA」

 この中には、実際にリアルに再現された沖縄+仮想現実(以下VR)が存在し、アバター(=PC上の自分の分身)や実際の自分を登場されることが可能、リアルタイムで会話もできます。友達と「バーチャルOKINAWA」内で観光をしたり、ライブ中継を見たり、エイサー大会(9/4日開催されました)等のイベントに参加ができます。このコンテンツの可能性は無限大です。特に関心したところは、海外のVRネットワーク内に設立させており、外国人も来沖可能です。言語の壁など超える必要がありますが、まさに沖縄の観光業形態に近いものなんです。現在は国際通りのみ公開されていますが、今後は県内の有名観光地なども追加、プロスポーツ選手の合宿風景を見たり、那覇大綱引にも参加できるかもしれません。ビーチにも行きたいですね。地元の料理教室や三線を習うことだってできるかもしれません。沖縄に行けない時でも、自宅のPCで沖縄に遊びに来る事が出来き、色んな人とコミュニケーションを行えるコンテンツになっています。オンラインとの連携で実際の商品購入等も可能になるかもしれません。今回勉強してみて、私も早速「バーチャルOKINAWA」へ参加しました。正直、PCゲームを日頃からやらない私にとっては、始めるまでの作業は非常に大変でしたアセアセ。英語のみの対応アプリのダウンロード(VRチャットするためのソフト)が必要で、英語が読めないと不安はありますが、英語の勉強だと思ってトライすれば楽しかったです。一度、入場してしまえば、再入場時のストレスは「バーチャルOKINAWA」を英語検索する必要があるくらいで、スペルを覚えてしまえば全く無いです。国際通りのルーツである、今は無き「アーニーパイル国際劇場」も再現されていて、中ではライブが行われていました。個人的には首里城を初め、無くなってしまった今帰仁(なきじん)城や中城(なかぐすく)城などの再建や来沖する飛行機の中、58号線のドライブやBBQもしたい。逆に海外のVRへも旅してみたいです。これからがとても楽しみな魅力しかないコンテンツだと思います。

 

※ 実際のバーチャル動画 ぜひ画面いっぱいで見て下さい。下矢印

 

※ 実際に「バーチャルOKINAWA」を開発した「㈱あしびかんぱにー」の公式会見下矢印

 

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※公式HP下矢印

 

※根間ういYouTubeちゃんねる下矢印

 

 

 

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