どこで買っても返品できてしまう国
アメリカに住んでいると、最初に驚くのが「返品のゆるさ」。
服でも電化製品でも、スーパーで買った食品でさえ、「気に入らなかった」「サイズが合わなかった」「思ってたのと違った」・・・そんな理由で返品OK。
お店側もまるで「どうぞお気軽に」と言わんばかりの対応です。
Amazon返品は“神対応”
Amazonでは返品も簡単。近くのホールフーズマーケットやUPSストアに持ち込むだけ。
箱もいらず、伝票も不要、もちろん送料ゼロ。QRコードを提示するだけで10秒で終了。
私もかつて旅行直前に雨具をポチっと購入し、結局使わずに無事返品…という“罪な過去”があります。
あの「使ってないけど気が引ける」感覚、アメリカでは完全に不要です。
試着して、外出して、返品⁉ ― TJマックスの都市伝説
掘り出し物が並ぶ人気店「TJマックス」。いわゆる激安量販アウトレットのようなお店。
アメリカでは“とりあえず買って、家で試着して考える”のが常の方が多し。
中には「週末パーティ用に着て、月曜に返品」なんて話も。。
本当にいるのかな…?でも、あり得るのがアメリカのすごいところ。
返品カウンターに並ぶお客さんの列を見れば、もう何も驚きません。
食品まで返品!? ― トレーダージョーの伝説
オーガニック系スーパーのトレーダージョーでは、食品の返品も。。
「このクッキー、思ってた味と違ったの」・・・それでも返金してくれる懐の深さ。
まるで“味覚の自由”が守られているかのようです。
聞いた話では、ほぼ食べ終わったアイスを持ち込む猛者もいるとか・・・(本当の話かどうかはご想像にお任せします)。
置き配が当たり前、でも盗まれる!?
一方で日本ではいま議論沸騰中の「置き配」について。
アメリカではこれが基本です。
玄関先にポンと置かれ、写真付きで「Delivered!」の通知。
でも盗難も多く、「ポーチパイレーツ」と呼ばれる“玄関泥棒”が社会問題に。
だから売れているのが24時間監視カメラ。
とはいえ、警察は「防犯カメラをつけてね」と言うだけで動かないことも多いとか。
Amazonの神対応ふたたび
実際、私もAmazonから「配達済み」と通知が来たのに荷物が見当たらず、保障を申請。
無事再発送してもらいました。
ところが1週間後、最初の荷物が突然到着。
Amazonに報告すると、「そのままご使用ください」。
えっ、いいの!? と驚くしかありません。
懐の深さに感動しつつも、「2度手間はもうイヤ」と思い、それからはAmazonロッカーを愛用してました。
アパートの“宝探し”
アメリカの大型アパートには「共用宅配ルーム」があることが多いのですが、これも一筋縄ではいきません。
特にクリスマスシーズンになると、通販王国アメリカ。部屋いっぱいに荷物が山積み。
宛名をたどり、自分の荷物を“発掘”するのはまさに宝探し。
間違えて他人が持って行くのも珍しくありません。
「届いたはずの荷物がない!」と探しまくった末、数日後に突然姿を現すこともしばしば。
🧭日本の返品文化との対比 ― 「信頼」と「慎み」の社会構造
日本では返品は「やむを得ない場合」に限るという感覚が一般的です。
多くの人が、購入後に「申し訳ない」と感じるほど慎み深い。
これは、日本社会が「売り手と買い手の信頼関係」を重視してきた結果です。
そのため、販売事業者は返品を減らすために、事前の説明・表示を丁寧に行い、返品送料負担も相まって購入者も「慎重に選ぶ」文化が根づいています。
この「予防重視型」の取引文化こそ、日本の品質信仰とセットになって発展してきたとも言えるでしょう。
一方、アメリカは「消費者の自由と権利」を最優先する国。
返品や返金も「購入後に考え直せる自由」の延長線上にあります。
そこには「まず行動してみよう」という合理的な国民性が見えます。
💼商社の目線から見える「文化の差」とリスク管理
STK商会のような貿易・卸売業においては、こうした文化の違いは決して笑い話ではありません。
国ごとに異なる“返品観”は、取引条件・契約条項・在庫リスク・損益計算に直結します。
アメリカ市場では「返品ありき」のビジネスモデルが当然とされるため、
・再販可能な返品された商品の処理方法
・返品送料の負担区分
・返金タイミングの規定
などを契約で明示することが欠かせません。
一方、日本では返品は例外的措置とされるため、
・製品不良時の対応責任
・返品を防ぐための説明責任
・信頼構築によるリピート率向上
といった「長期的関係性の管理」が重視されます。
どちらが正しい、という話ではありません。
文化の違いを理解し、取引の「前提」を明確にすること。
それが、商社としてのリスクマネジメントの第一歩です。
✈️おわりに
返品ひとつをとっても、そこには国の文化や価値観が詰まっています。
「合理と寛容のアメリカ」「信頼と慎みの日本」。
その両極の間にこそ、グローバルビジネスの“学び”があるのかもしれません。
