アメリカのトイレのドアは下にかなり隙間があって、それに慣れるのにちょっと時間がかかったというブログを読んだ。 そうか、私はもうすっかり平気、それに、ごまかす音なしで、”シャー”または”ジャー”とやることにも、もはや抵抗はない。 時々はうちでトイレのドアを閉めるのを忘れていて、息子たちが通りがかりに、ちゃんと閉めろよと言って閉めてくれる。 結婚する前、つれあいの両親のうちに遊びに言って、そこで、彼の家族にあった。 弟2人、妹2人。妹のスーザンは、トイレのドアを閉めず、私と話をしながら、用を足していたのをとても奇異に思ったのを思い出す。 


そのスーザンが15年くらい前、ウォーターベッドが流行だったとき、私たちはウォーターベッドを使っていたので、”買おうかどうか迷ってるんだけど、どう、セックスに不都合じゃない?” ときいてきた。 エーッ? ”あのー別に私には不都合な所はー”とか言ったけど、そういうこと訊くかなー? あとでつれあいに言ったら、さすがに苦笑い。


何を恥ずかしいと思うかは多分に文化的な要素がある。 副大統領の猟の間違い射撃は事後の扱いのまずさが恥ずかしい。