こんばんは、やよいです
今日はブログ継続5日目、仕事初め、ブログ10投稿目って事で、今更ながらの私のゆる〜い自己紹介です
改めまして、やよいと申します!
漢字で書くと弥生です笑
岩手の県南に生まれ、今年は後厄も終わり一旦休養の年になります(来年は前厄)
これらを踏まえると大体の年齢がわかるのではないかと思います
小中高を卒業し、調理系の専門学校へ1年通い資格を取得し卒業。
就職したが色々あり地元に戻り、病院給食の仕事につきました。
3.11のときは遅番で職場にて地震にあい、電話もネットも繋がらず病院の発電機も壊れ、どうにかこうにか給食を提供して締め作業もして帰宅。
家の中はめちゃくちゃだったけど、父は午後から仕事へ行き、母は用足しにでてたため怪我もなくホッとしたのを今でも覚えています。
隣県にいた姉と遠方にいた兄も無事でした。
給食の仕事を3年ちょいほど経過したあたりで、騙し騙ししていた腰がちょっと騙せなくなり退社
シフト制の仕事じゃなくて、土日休みの仕事に付きたいなと思って有給消化しつつ職探ししてた頃に、同級生の集まりで知り合った子に誘われるまま営業の仕事へ
保険関係の営業で土日休みだけど、土日も働けと言う上司。(まぁ、土日休みの人の対応とか提案しないとだから仕方がない)
人見知りする私でしたが、仕事のときはどうにかスイッチの切り替えをして営業するもやる気がない
お客様を増やすため支店での施策だとかで、お客様にお渡しする物(お菓子だとか食料品とか)とかも自己負担(給料から引かれる)。
営業所に戻ろうと安全運転で直進したら、対向車が突っ込んできて誕生日に事故にあう笑
個人事業主と言う扱いになるので、自分の車であっちに行きこっちに行きと動いていたので、初代愛車を泣く泣く手放すハメに。
そしてもうすぐ2年になる頃、育成期間が終わった後のことを考え仕事辞めたいとなり、うまい具合にサボり始める笑
同じ営業所にスナックのママさんがいて、バイトに誘われる。
2014年後半このまま実家にいてもだらだら怠けてダメだと思い、転職活動をし隣県の会社に転職する。
2ヶ月〜3ヶ月は実家から通いで研修だったため、親にも許可をとり週末スナックでバイトして、翌週分の交通費を稼ぐ。
転職先は正社員だったけど、案件があった場所への派遣となりまさかの岩手の沿岸に行くと言う
2015年4月 初めての建設関係の事務仕事、不慣れな事もありながら上司に恵まれたのかしっかり評価してくれる人で(怒るとまじ怖い)
各協力会社の方々も良い人ばかりで、なぜか私にも
色々良くしてくれて(来るたびお土産くれたり)
営業の仕事をしたおかげで、電話の取り方、来客の対応の仕方、仕事の優先度などなんとか形にっていました。
またスナックでバイトしたのもあってか、職人さんとの会話とかうまく受け流したりとか懇親会でお酒作ったり笑
事務所で汁のも作ったりもしました
そして上司から次も一緒に仕事して欲しいと言っていただき、2018年1月岩手の内陸へ移動
そこからまた数年経ち2019年12月に次は山形へ
今までの上司は昇格したので、新しい上司の元で仕事するも、ちょっとしたことでも褒めてくれる上司でありしっかり評価もしてくれる上司にまた恵まれました
そして2022年5月半ばに次の現場で福島へ
そこの上司は、どちらかと言えば無愛想。
他の人曰く変に拗らせている性格。
否定する言葉をよく使う人で、自分が言われてるわけじゃないけど、聞いていて気分は良くない。
現場も中々始まらないため事務としてやる仕事もなく“何しに来てるんだろう”とか“居る意味あるのかな”とかよく思っていました。
いざ、仕事ちゃんと始まってきたら事件が色々起こる、今までよりやることが増える、翌年の23年4月には支店に配属になった事務方の新入社員が私の下に来る。
結構キャパオーバーしてるタイミングで電話の取り方もメールの打ち方も、エクセルとかに使い方もわからない新入社員が来て数ヶ月しんどかったです。
なんなら数年ぶりに軽く眼底出血して「あ〜ほんとキャパオーバーしてんな」と思いながら仕事してました
新入社員も少し仕事を覚え始めたころ、現場は色々事件が発生するし、どの現場でもやる事はあまり変わらないのになんでこんな大変なんだろうと言う思いが、前よりも一段と強くなりからこの状況から抜け出したいと切に思うようになりました。
そんな頃、あるきっかけで潜在意識の事を学び始め
自分自身を見つめ直すことができました
見つめ直しはまだまだ発展途上です笑
そして今年の4月でこの仕事に就いて9年目を迎えます。
色々大変なこともありますが、こうして長く一定の仕事が出来ている事に感謝です
ゆる〜い自己紹介のつもりが、めっちゃ長くなってる
人はいくつになっても変われるのだと自分自身思いました。
みんな必ず歳は取りますが、人にはそれぞれの人生があり考えがり、見る景色も色々違います。
年齢はその中の通過点の一部であって、“この歳だからこんな考えは捨てよう”とか、“こんなことにチャレンジしてもどうせできない”とか思う必要はありません。
去年は怒涛の後半となりましたが、そのおかげで今こうしてブログを書いたりしている自分がいます
2024年はさらに飛躍するため『動』の一文字を今年の漢字にしたいと年末に考えました。
今までの自分ではこんなこと考えもせず、“前年より良い年になるといいな”ってしか思ってませんでした。
ちょっとした事で意識が変わり、それを脳がこっちだよと引っ張ってくれます
どんどんイメージをして、どんどん色々な事を目にして動いていきます
はい、今日はここまで
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました
今日も良い日です