最近は“あれ、どこに仕舞ったけ
”とか、“何をしにここに(主に部屋や台所)来たんだっけ…
”ってことが多くて、ちょっと思考回路がヤバい感じデス
それも、諦めたり、忘れかけた頃に突然思い出したり
するんですよね…。ワタシの中で、そんなふっとした思い出し現象を“天使の囁き”と呼んでいます。
切羽詰まった時は、守護天使
にすがって“お願い~
一緒に探して下さい
”と、お願い
すると、“天使の囁き”
なのか、案外簡単に見つかったりするから不思議です(天使を信じない人からすると、祈ることで冷静さを取り戻せるからだとのこと…)。先日、そんな忘れ物や失くし物の話が出たとき、スペイン人のシスターから「忘れものや探し物は、聖アントニオに祈って力を借りなさい」とのアドバイスが


聖アントニオ・マリア・ザカリア司祭(パドヴァの聖アントニオ)とは、司祭教会博士でポルトガルの保護聖人、紛失物や貧困の保護者(6月13日が記念祝日)
まさに忘れもの多し、おまけに人生も見失っているようなワタシには、なんという心強い味方に出会えたのでしょう


それからというもの、聖アントニオがとても身近な存在になりました


ここであらためて聖人について説明すると…
聖人は、この世を去ってなお神の為に働き続けている方であり、それぞれ役割があります。私たちの信仰の模範であり、私たちを神の御元へ導く存在でもあります。
よくカトリックは多神教(聖人崇拝)をしているとか誤解されがちですが、聖人を崇め拝んでいるのではなく、聖人は信仰者の模範であり、人生に共に寄り添い神に一緒に祈ってくれる存在なのです。
神さまに近い場所にいるということで、取り成しを願って祈っている(コミュニケートしている)のです(守護天使に対しても同じ)。
例えば、洗礼名(霊名/クリスチャンネーム)には、人生の保護と導きを願い保護聖人の名前を頂きます。
ワタシの洗礼名は、聖エリザベト修道女(ハンガリー)。
ワタシ自身、かなり彼女の清貧、奉仕の精神からはかけ離れた生き方、心持ちゆえに、時々彼女の厳しい顔を思い浮かべては身を引き締めなければと反省する日々…。
さらには、霊的保護者であるピオ神父さまの怒った顔ばかり思い浮かぶダメダメなワタシです

放蕩娘に憐れみを…
こう考えると、かなり聖人に顔を背けた日々を送っている気が…(懺悔)