論文と作品を同時に観れるので、より深く作品を味わうことが出来ました。
それぞれの作品に対する考え方、捉え方を知ることが出来て、いろんなことを考えることが出来ました(^-^)/
記憶に残っているのは、作品を一つの庭として捉えていて、世界を光と影などの二元性として捉えたりするのをその方独自の二元性によって作品に反映させているところがとても興味深く、相反するものによって作品を捉え、そこに生まれるものはその要素を持たない作品よりも魅力が違うことを説明されていました。
他には、聴覚があまり聞こえないけれど、なんらかの方法で音のある世界を知ったことで、音のないこれまでの世界を見る目が変わったと論文に書いている方もいましたが、その応用といいましょうか、私達の生は相反する死を持ってその生という枠の外でしかわからないことが存在することを暗に意味しているようで、多分ですが、老いたり、何かを失うことで、それまでの世界の素晴らしさに初めて気づくことだってあるのだと大切なことを教えられました。
他に、論文の中にこんな言葉を載せている方もいました(・ω・)ノ
美は存在の充実によるものである以上、
世界を美しくする
~日本的感性/佐々木健一(著)~
私も絵を描く前までは、美しい空を眺めてました( ´ ▽ ` )ノ☆
つまり、朝陽や夕暮れのあの美しい空の景色は間違えなく世界を美しくしていて、
世界とは、主観的な視点での「私の知る」世界だと思うのです( ´ ▽ ` )ノそこには、益々美の世界にどっぷり浸かって、世界を美しくしたいという欲求のようなものを生みだしてくれる言葉だなぁと思いました。
また、
拠って立つべきところを
失ってからしか
モノを考えるということは
始まらない
と論文に書いている方がいました(・ω・)ノ
そこでようやく生まれるものが芸術というものなのだそうで、ある意味で「拠って立つべき」何かを持っている方には、ない人に比べて芸術はそれほど価値がないのではと感じました(。-_-。)
そして、この二つの文を比べて思うことは、芸術とは大いなる美の中の瞬間、瞬間のようなものなのだと思います(・ω・)ノ
世界が美で満たされていることを知る、気づく為に芸術という手段があって、その芸術を通して観ることで、その世界を覆っている美の世界を何倍にも味わうことことができる拡大鏡のようなものではないかということです(^-^)/
これから大きな変化を迎えようとしている時代にあって藝術はきっと今まで以上に価値のあるものとなっていくのではないかと予想します(^_-)-☆
それはプロの方が描いたものがどうこうというだけではありません。
絵を描くことは、その人自身と向き合うことでもあり、時に絵は自身を浄化したり、癒したり、その時その時によって変化していくものだと論文で書いていた方もいましたので、(もちろんそのことは私も知ってますo(^_-)O)どんなカタチでもいいので芸術に触れることをオススメします(^-^)/
ということで、芸術の価値に触れることのできたそんな一日でした(・ω・)ノ