しかし、この記事の内容はかなりテーマが深く難しい。
作品に興味を持って頂くよりも、この記事は独立させた方がいいのではないかと思って、発表の機会を伺っておりました。
昨日、一昨日と心屋さんの言葉を取り上げさせて頂いておりますが、今回の個展のために書いた「解放」の内容とつながっているのかなと、ここで、アップさせることを決めました(・ω・)ノ
長文になりますが、お付き合いくださいませ(・ω・)ノ
「解放」を考える時、それにはタイミングが存在しているような気がします。準備ともいいましょうか?映画「グッドウィルハンティング」を観ましたがウィルの自身の解放には忍耐強いカウンセリングとそれ以上に彼を思いやる人たちの存在があったと思います。あれだけ、愛される条件が揃わないと解放は難しいのか?とも思いますが…
アンジェラ・アキさんの「夢を観つづけて」というメッセージからその夢が叶うイメージを自分のものにできるかどうかというのは、叶えたいという力みがとれた頃、時間が解決してくれるものなのかもしれません(;^_^A
さて、何故アンジェラ・アキさんは
『夢を観つづけて』
というのでしょうか?こんな言葉がその伝えたい本質を教えてくれます(^-^)/
あの「ショーシャンクの空」にも、やはり、もうここにはいられない、自身の希望をことごとく、踏み潰された後で、夢を叶えるために他人をアテにしてはならないと脱獄を覚悟し、そのタイミングを見計らった計画的な行動には、新しい世界へ飛躍することには勇気とともにタイミングを見計らう為の忍耐力がつきものであると語っているのではないかと思います(^-^)/
そして、「今を生きる」で描かれている、演劇の才能があり、高校の演劇公演で賞賛の嵐を目の前で観ながら、親が子を自分の思うような進路へ向かわせたい親が、演劇の道から離れるように人生を決めてしまった部分は「ショーシャンクの空に」で主人公が無罪だという証拠を見つけたのに、その証拠を消してしまった看守や署長たちがやってることと同じでした。
「今を生きる」では、生きる希望を失った青年は死を選びましたが、「ショーシャンクの空に」では、それでもその絶望の中にいながらもまだ可能性を信じて生きる姿が描かれています。
「グッドウィルハンティング」でも、数学の教授が、彼の類まれない才能を世の為、自分のために使おうとしますが、彼にとってその才能はどうでもいいことだと一蹴したところはある意味で「今を生きる」のエンディングのシーンで象徴的に表現されていました。
グットウィルハンティングのウィルが解放されたのは、たくさんの自分を映す鏡を持っていたことではないかと思います。
「今を生きる」では確かに彼の周りにも仲間や先生がいましたが、それでも彼は受け入れてくれない両親の放った言葉にあまりのショックを覚えて、死を選びました。
この話はX JAPANのToshiさんの話ともつながっていて、私達は、自己のビジョンと他者の私自身に対するビジョンとの間で、自己イメージが作られるものであると考えていいのではないかと思います。
こんな言葉があります(^-^)/
ある意味で、X JAPANがToshiさんの脱退によって解散したことで自己のイメージに相当な揺らぎをうけたと思われるhideさんは、「今を生きる」でなくなった演劇の才能のある若者と重なります。
hideさんにとってX JAPANは自身に最高の自己イメージと重なるものだったのではないかと想像してしまいますが、そのことは、ファン以上にそのグループに所属していたメンバーにとってはなくてはならない居場所だったのかもしれません(;^_^A
確立された自己イメージが壊されたり、揺らいでしまったり、そんな自分を認められなかったり…それでも生きる意味はあるのか?と…
その時、それでも生きる意味はあると新たな希望を打ち立てられるかどうかというのが大切だと思います。o(^_-)O
大切なことは、周りの評価によって染まりきってしまうのではなく、仮でもいいので、新たなビジョンを挟むことではないでしょうか?
なぜ、ONE PIECEでロジャーが旗を掲げよといってるかは、人と人との境界線、テリトリーの戦いがあるのだと思います。
それが難しいのかは、冒頭の方で紹介したアンジェラアキさんやヘッセの言葉から分かるように、道無き道を行くことだからだと思います。
偉い人、有名な人、どんな人の間でも起こりえるのが、テリトリーの争い、それに負けると人に心をキャンバス化されてしまいかねない隙が生まれるのではないかと(;^_^A
それを防ぐのに有効なことは、自分の旗を掲げること。
それが出来なければ…
一体、この世界はどんな風に出来ているのか?ということの答えはそこに一理あるのかなと(;^_^A
一筋縄では解決が難しいテーマがチャレンジ精神に火をつけました(^_^;)そこには、本当の意味での忍耐が必要なのでしょう。
(絵を描くには、熱が必要だという画家がいたかと思いますが、生きることにも自分の内から発せられる熱が必要なのでしょう。それを言い換えるなら忍耐といってもいいと思います。(;^_^A)
たとえ状況が思わしくなくても、辛抱づよくタイミングを待つ…それは落ちて来るかわからない棚から牡丹餅を待っているようなもの。
それは私の描くスタイルそのものです。どんな絵になるのかわからないけれど、これでOKと感じるまでやめない姿勢(^-^)/
私は描く度に、一つ一つ解放されていくことを確かめているのだと思います。こんな自分もありだし、こんな自分もいていいし、こんな自分がいたのか?面白い(≧∇≦)結局は、それの繰り返しなんです。
私の想像ですが、人生では、きっと一度解放されれば、その流れに乗ってうまくいく…といいな~多分(;^_^A
絵を描くことは、小さいことかもしれませんが何度も解放の体験をしているのではないかと思えてきました。
作品を描く中で何百という解放を越えて、人生の解放の場…自由の丘で私の個展が始まります(^_^;)
という記事でした(;^_^A
因みに私の個展は終了していますm(_ _)m
そして、長文にお付き合い頂きましてありがとうございましたm(_ _)m