言葉を使っていると、どうしても誤解されてしまうことがある。
例えば、「適当」(^^;;
こないだ、友達に「適当に描いてる」というと、そんなことは、あまり言ってはいけないよ、例えそうであっても(・ω・)ノ
と云われた…(^^;;
あの時、誤解されてしまったようですが、
「適当に描く」とは、これまでにない作品を産み出そうと作り出したスタイルで、これまでのイメージしてから描くとは異なった可能性、作品を産み出すチカラをもったものだと思っています。
イメージしやすいようにいうと、「適当に描くこと」は、大海に飛び込んで、素潜りして魚を採ってくるようなもの。
それに対して「イメージしてから描く」ことは、もう魚群探知機で既に魚が何処にあるのか分かってる採りにいくということだと思うんです。
以前のスタイルだと確実に魚をゲットできるんですが、魚群探知機では反応しない魚をゲットできるのが、適当に描くなんですψ(`∇´)ψ←銛
釣れる時は大物な半面、全く見つからないこともありますけどね(;^_^A
イメージしてから描いてきた時と同じように、描きながらも作品との対話は欠かしていませんo(^_-)O
むしろ描いていく中で作品の変化に敏感に反応して描くことで、今までにないものが出来ると信じてやってます( ´ ▽ ` )ノ
手は第二の脳とも云われていますが、もしかしたら、掌は宇宙とつながっているのかもしれません(^_-)
そんな可能性を感じながら作品制作に取り組んでいますψ(`∇´)ψ←銛
次に描き方を話す時は、「適当」ではなく、「魚群探知機なしで」というようにしようかなσ(^_^;)