武蔵野美術大学の優秀作品展を見にいって、いくつかの気づきがありました。
プレーワーカーとして子供の遊びを研究、分析した方の遊び場についての在り方は、まさにカウンセラーや優れたセラピストが用意する場や優れたスピリチュアルな本にあるものに似ているように感じました。
そして、それにあわせたかのように帰ってから、宮本亜門さんのスランプ脱出の話を聞いていると、まさに「対話する」ことの意味を感じます。
自分との対話。
自然との対話。
過去との対話。
未来との対話。
誰と何を対話するのか?
対話によって生まれる新しい形。
それは、勝ち負けではなく、お互いの理解。
説得や指摘ではない、決意や覚悟の表明…
それは、作品を対話しながらつくるアーティストのものの作り方にそっくり。
絢香さんも病気との闘いの中で大切にしたのは、自分のカラダとの対話だそうで、復帰のCD制作では、同じように作品との対話を重ねて作られたそうです。
絵が持つイメージは必ずしも同じではありませんが、私も、素直に出来上がる作品もあれば、対話が足らずに描きたりなかったり、描きすぎてしまったり、まったくその先が見えなかったり…
ふと、やりかけの絵をみると、不意に色が見えたり、感じたり、対話とは、時間をかけてつくりあげていく信頼関係なのだと感じています。