言葉、
命、
そして、お金…
この3つによって、人間が縛られているという話を吉福さんの講演会で聞いたが、
私の場合、この3つのうち、一番コントロールされていることに意外と驚くのが言葉ではないのかと思う…。
命には縛られているかもしれないが、中々現実味を帯ない。
ただ、命が縛れないものがあるとするならば、それは意志や想いではないのか?
多分、それこそが、永遠だと思う。
そこ迄、強い気持ちになれないのは、覚悟がなければ、超えられないってことなのだと思う。
そこが、命によって縛られているとされているところなのでしょう。
お金についてなら、何が言えるだろうか?
お金がエネルギーであるというのをサイキックセラピストのブログで読んだことがある。
元々は物々交換がより便利になって生まれたとされているわけですし、人の手によって運ばれていますし。
だから、いきなり大きなエネルギーを持ってしまうと、その持ったことのないエネルギーに逆にやられてしまうらしい。
急激に自由になるとするならば、そこには、抵抗があるのではないだろうか?
それでも、その手にした現実に対して自分の方が変えられてしまうのだと想像できる。
そんなわけで、エネルギーとして考えるって大事ってことだと思う。(⌒-⌒; )
エネルギーをどう使って、溜めて…
ここで問題なのが、今持ちえているものが、自分のエネルギーの全てだと言葉の縛りを受けていないかどうかだと思う。
本来のエネルギーとは、どこにあるのか?
想いは人を引き寄せる…
その強い気持ちに反応するかのように人は集まってくれるんではないか?
そういう意味では、一番コントロールされていることを意識しにくいのが言葉なのかな?
言葉は、現実ではないが、言葉を扱うものによって、現実が変換されたもののようにみえてる…。
誰がどう表現するかによって、個性が出ると思う。
だからこそ、個性とは別のところで考えるチカラをデザイナーやライターの人は持っているのだろう。
なんでこんなこと言いたくなったのかな?
そう、この3つから自由になりたい、なれたらと思う。
でも、それは本当に可能なのかな?
多分、どれに対しても積極的に自分のものにしていくという意図が必要な気がします。
やはり、どれも、扱うのか、扱われるのかという表と裏の面がある気がする~。
言葉で遊んでみました~。