紹介しましたがもう一つ
ありましたので紹介します。
暗く暮らしても
明るく暮らしても同じだから
~松任谷由実さんのコメント~
最終的には、自分がどこにいようとも
それをどんなものにするかを決めるのは
私である
という選択できる立場に立てているって
強いと思います。
この視点で考えられるかどうかで、
あの悪い王様のようになることを
避けることが可能ではないかと考えます。
そして、今読んでいる本の言葉が松任谷由実さんの言葉を裏付けていましたので引き続きご紹介します。
「幸福とは、
その「才能」に比例する」
これです。
「幸せ」は、音楽やスポーツ、
芸術などと同じ、
「才能」だと思うのです。
音楽の才能をお持ちの方から、
いくら譜面や楽器、
声や聴覚を取り上げても、
頭の中で音楽を奏でることを
不可能にすることが出来ないように、
「幸せ」という名の才能を持っている人からは、
何を取り上げても不幸せにすることは
出来ません。
(中略)
与えられた環境によって
幸せになるのではなく
その才能に長けているからこそ、
環境を恵まれたものにすることが
できるんです。
~あの世に聞いたこの世の仕組み/雲黒斎(著)~
これを読むと、
先日ご紹介した、石川遼選手の言葉の意味がわかりました。
石川遼選手は、
自分を幸せにはしたゴルフで、
被災した方も幸せにしようとしているのですが、
雲黒斎さんの言葉を
才能=幸せ力
と捉えるならば
石川遼選手は
才能を磨く=幸せ力=つながり
であると感じているのではないかと、
つまり環境はあくまでもつながりを作る要素でしかないとわかっているかのようです。
どんなことがあろうとも、
環境はつながりを感じさせてくれるもので、
それを感じるために今起こっていることがあると思います。
何故、ああいうふうに言葉に重みがでてくるのか、
それは石川遼選手は
必然としてイメージするものが大きくなることで間違いなく
今まで以上に精神的にも
大きくなっているのだと感じることができました。