といっても
私がお墓参りしただけですが、
掃除して、お線香あげて
般若心経を読んでいると、
これこそ昨日の記事でお伝えしたことと重なる
と思いました。
霊になった御先祖様に
現象界にあたるアストラル界は
一時的に立ち寄る場所かもしれないけど
本来の居場所ではないことを伝えるために
読むのではないかと
思えてくる内容だと。
意訳されたものが
あるサイトに紹介されていましたので、
紹介します。
仏とは彼岸の智慧を得た者をいう。
彼岸の道に向かって深く行じていくと、
因果の原因は本来無いものと
心の眼で捉えられる。
そうなると、
一切の苦しみと災難から超えることになる。
舎利子よ、
一切は自分があるようで無い。
すべては 一つなのだ。
それゆえ、舎利子よ、
この世のさまざまな因果の法則は、
生じることもなければ滅することもない。
垢もたまらなければ
浄 ( きよ ) まることもない。
増えもしなければ減りもしない。
それゆえ、
空 ( くう ) の中に
色 ( 形、存在 ) があるというのではなく、
二つは 一つなのだ。
また差別、
境界、
肉体にまつわる様々な自我の思いは
本当は無いものだ。
無いから、
迷いも、
迷いの尽きることも、
老死も、
苦悩もない。
いわんや小賢 ( こざか ) しい知もない。
肉体にまつわる自我を去ると、
このように見え、
わかってくる。
菩薩行 ( ぎょう ) の末に彼岸に着くと、
神仏の智慧が与えられ、
ものの真相が明らかになる。
般若の智慧を得ると、
心に囚 ( とら ) われがなくなり、
恐怖の心も湧かなくなってくる。
物事を逆さまに見ていたことから
遠く離れるので、
行き着く先は
神仏の世界しかないからである。
諸々の仏といわれる者は、
一人も漏れなく大いなる神から
いのちの果実を与えられ、
大安心を得た。
ゆえに知ることだ。
彼岸への道は、
これ大いなる神への祈りであり、
一切の智慧の教えであり、
これにくらべる道はない。
能 ( よ ) く 一切の苦を除いてくれる。
真実にして偽りのないものだ。
ゆえに、
この説を指して不変の教えという。
教えを要約するとこうなる。
あなたも、わたしも、
神仏を信じて 一心をそれに託し、
努め励んでゆくならば、
安心の境涯に達することができる。
永遠に変わらぬ心の教え。
祖父が亡くなったのは私が小2の頃。
私は亡くなってから
何故か誰に言われるでもなく
朝と寝る前に
般若心経を読んでいました。
毎日のように3年位続けました。
(めんどくさくなってしなかった日も何日もありましたが…)
お陰で2年前の
夢の中でネガティブな存在に
追い詰められて苦しんでいた私に
お前が引き寄せてしまった不運は
私が全て引き受けるから
安心しなさいと
心強い言葉をかけてくれたこともあり、
改めてその日のこと、
日々お見守り頂いていることを
感謝して参りました。