私の一番伝えたいことが、
お参り4に書かれていますので、
まだご覧になられていない方は、
そちらを先にご覧くださいませ。
では、その続きを
書いていきたいと思います。
だいぶ歩き寒川駅近くを来ると
反対車線に
茅ヶ崎駅行のバスが…
この道だ‼と思い
慌てて渡って追いかけようか
思いましたが、
反対車線のバス停を気にしながらも、
直感を信じて歩き続けると
バスの車庫らしきところから
一台のバスが…
ああ、惜しい、
あとちょっとだったと
思うと、
まだバスが赤信号で止まっていました。
迷いながらも駆け寄ると
開けてくれて
無事に待つ事なく
むしろバスに待って頂き
乗り込むことが出来ました。
嬉しさが込み上げてきました。
付いていました。
こういう有り難味、
人の優しさを味わうのも
一見すると不便に思うことが有りきなのだと
わかります。
便利さというのは、
人の優しさを味わう事も忘れ、
極端に言うと
その人の優しさを表す場も奪うものなのかもしれません。
バスに乗りながらも
折角だから、
海も見て行こうという気になって
茅ヶ崎駅に付くと
歩いて海岸へ。
人が少なく、
一人で一時間位海を眺めていました。
更なる浄化の意味も込めて…。
波を見ていると
怖さよりも
一定のリズムを作り出す潮の流れに
安心感を持ちました。
やはり人は肉体を持つことを選んだがために、
恐怖を知り、
それが、チャレンジになっている…
とかを昔読んだ神話的な本にあったのを思い出し、
これに地震が重なると怖くなる訳で、
今は幸せを感じてもいいんだと
いう気持ちで眺めていました。
太陽も雲に隠れては現れて、
親子がまさに波打ち際で遊んでいる姿は
微笑ましく、
実際に楽しそうでした。
綺麗な石を拾ったりしていると
一番最初に綺麗だと想った
正三角形のガラスのかけらを落としてしまい、
ショックを感じていながらも
波にさらわれた辺りを
探していると
地震速報で流れるような
警報音が鳴りひびき
慌てて
逃げました。
振り替えりましたが、
何が起きたのか
わからず、
そろそろ帰ろうと思っていたので、
気分を変えて歩いて駅へ。
途中で、花を100円で売って
義援金としている花屋があったので、
買って帰りました。
家に飾っている花も
枯れてきたところでしたので
ちょうどよかったです。
電車には、座っていくことができ、
無事に帰路に着きました。
自転車に乗りながら
ふと
こうだったらよかったのに
という
過去へのベストを手放さないと
ベターもやってこない
という言葉が頭をよぎり、
そんな気持ちになりました。
これでこの話は終わりですが、
また、何か日常の中からも
気づきなどがありましたら
ご紹介させて頂きますので、
今後ともよろしく御願い致します。
予想以上に長くなりましたが、
最後までお読み頂きまして
どうもありがとうございました。