釈迦が「苦」という言葉として残したものは、
実は「思いどおりにならないこと」
であったのです。
不幸や悲劇、
病気や事故というような、
向こうから勝手に降ってくるというものは、
釈迦が残した「苦」ではありませんでした。
(中略)
日本には音読み、訓読み
という漢字の読み方があり、
訓読みによって「苦」が
「苦しみ」と読まれるようになってしまった結果、
向こうから起きてくる我が身に降りかかってくる
病気や事故や災難、トラブルなどが
全部、苦しみという意味に転じてしまいました。
(中略)
そこからお釈迦さまは、
受け容れることが楽になることであり、
自分の思いどおりにしようと思うから、
悩んで苦しむのですよ
ということを、二千五百年前に見通したのです。
~釈迦の教えは「感謝」だった/小林正観(著)P.68~70より一部抜粋~
ハートフルフィーリングマイラブ☆444+23☆
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僕はこの著者が好きです。この本を読んで3册読んだことになりますが、どれも自分にとって考えさせられる言葉が詰まっていました。
僕はやっぱり自分がしたことは返ってくるものという捉え方を信じます。多分自分が送ったものっていうものは、そこに同じ思いが通れるような限定された通り道を作る行為なんだと思います。オーラの泉という番組で江原さんが、徳を積んでおくと自分にこなくても自分の子供に返ってくるというようなことをおっしゃっていたのを思いだしました。その送られてくるスペースを有している通り道がつながったまま存在しているという風に自分は捉えています。
『苦しみは自分で創っているんだから、自分で苦しみを創ろうとしなければ苦しみは苦しみでなくなる』というようなことを聞いたことがあったので、この本の内容は予備知識もあり、そうだそうだっていうふうに納得しながら読んでいます。
一方で願う力には、凄い力があるということを書いている本もありますが、願い方というものがどんなふうにしたらいいのかというのが、間違って伝えられているような気がします・・・それはどうしたら???といわれると、僕もまだちゃんと把握できていないというのが本当のところです。
でも、仕事の流儀という番組を見ている限りでは、できる人というのは、最後は筋を通すというか、自分の流儀を他人の捉え方によって一般的なものにしない・・・自分の思いや直観に忠実に従っているような気がしました。
紹介した言葉を読まれて、誤解のないように付け加えておくことがあるなら、それはその苦しみを自分で選んでいるかどうか?ということだと思います。その苦しみの先にあるものに対して、チャレンジできるかどうか、というのは、成功体験による・・・つまり苦手意識を作ってしまうことが問題だと思います。苦手意識をひきずってしまうとスランプのようなものになってしまうんだとおもいますが、そこで自分の意識のギアを点検する必要があるんだと思います。そういう意味でも、苦しみは自分で選べるということを教えてくれる言葉でもあると思いました。