シャナロ
子供、特に幼児の年齢は相変わらずよく分からない。きっと私がまだ子供を育てたことが無いからなのだろう。
だから昨日会った男の子の年齢も良く分からないのだが、ヨチヨチと歩いていたので一歳やそこらなのだろうか。とても可愛らしかった。私が何も考えず5メートルの距離から猪木ポーズでニン、としたら彼はウキャーだかウヒョーだか叫びながらこっちへヨチヨチ走ってきた。
――怖い。予想外だ。受け止めればいいのだろうか。
抱こうか迷ったが抱かなかった。私の足に掴まりながらケタケタ笑っている。
なんて能天気なんだ、ボーイ。今の地球は笑ってる場合じゃない。
彼の目を見つめながら被っていたニットを摘んで引っ張ってみた。頭の先からひょろっと伸びたニット。そう、私はコンドーム・マン。地球を救うぞ。救えるか。
彼はウキャーと笑ってくれた。ママも私も笑ったが少し寂しくなったのだ。
神様
「君は本当に神様がいないと思っているのか?!」
中学時代、こんな話し方をする奴がいた。いや、問題は話し方ではなくてその内容だ。
彼はある宗教を強く信仰していて、妥協を許さないその生活スタイル(遠まわしな言い方だ)から周りから距離を置かれるタイプだった。しかし素敵なユーモアを持っており、普段つるみこそはしなかったが私は彼のことを好いていた。
放課後ファミレスで討論もした。その時の発言が冒頭の文句だ。
彼にとってはただ一人の神様が存在することは当然の事実だ。信仰心を持ち合わせない私や友人たちと話が噛み合う筈もなかった。
だが、その討論は楽しかったのだ。
彼は私や友人たちが自分の信仰と自分にとっての常識を理解していないことを知っており、私たちもまたそうだった。だからそもそも討論自体が無意味なのだが、その噛み合わなさ加減が実に愉快だった。
異なるルール、分かり合えない前提のもとでのゲーム。地動説VS天動説。サッカーVSハンドボール。
分かってねーなーとお互いの「非常識さ」を笑い茶化しながら、私たちは他人の信仰、他人の常識を大切にすることを彼から学べた。
「理解しろとは言わないよ。ただ、僕と同じように何かの宗教を信仰している人間が君に話したい、と言ってくることがあったらその人の話を聞いてあげてくれよ」
一家で勧誘活動をしている彼は恥ずかしそうに、しかし大人びた口調で真剣にそう語った。彼とは卒業以来会っていないが、そのインパクトフルな口調は強く印象に残っている。
先日、遠い知人から宗教の勧誘を受けた。「話聞くだけでいいから」と言われ、「話は聞く」と言い喫茶店に入った。
1時間以上、ふんふんと真面目に話を聞き、その後、
「入ろうよ!」
「入らない」
「なんで?」
「なんでも」
「本あげるよ!」
「いらない」
「読もうよ!」
「読まない」
「電話して!」
「しない」
「入ろうよ」
「入らない」
私は友人との約束を守っている。
福山雅治と長崎
今、私の手元には福山雅治のDVDがある。ジャケットにはおそらくデビュー当時の福山。凛とした若々しさのある、とても良い顔だ。
しかし何故、興味も関心も無かった筈の私の家に福山のDVDが。
そう、先日私は福山雅治の夢を見たのだ――
私と同じオフィスで、福山雅治は牛乳を管理する仕事をしていた。私は牛乳とは関連の無い、現実と同じ仕事に従事していた。
「この近辺でタバコ吸える場所ある?」
振り向き、福山がそう低音で聞いてきた。私は窓から見えるビル側の公園を指差し「あそこに喫煙所がありますよ」と教えると「お前もサボろうぜー」と抑揚のある声で誘惑してくる。断ると彼はさっさと仕事を切り上げ、「じゃちょっと吸ってっから」と言い残しオフィスを出て行った。
私は少々ドキドキしていた。――福山雅治だ!(ファンでもないけど!)すげえな!
早めに仕事を切り上げ公園に顔を出すと「ちょっと手持ちがなくて銀行行かなきゃなんねーんだわー」と福山が私を促す。
一緒に銀行へ行き、彼が金を引き出している間私は「欲しくないけど一応サイン貰っておくべきだろうか」と悩んでいた。
出てきた福山にサインをねだろうとすると女子高生が二人走ってきた。福山にドン!とぶつかり彼を軽く睨む女子高生。「あっちにオレンジレンジが来てるから急ごうよ」と女子高生たちは走り去った。
「俺の人気なんてこんなもんだよ」という苦笑を私に向け、私たちは肩を並べ歩き出した。
歩きながら福山は近々結婚する、と語った。明日からアメリカに行く、とも。結婚式の日程が決まったら連絡する、と約束してくれた。
何時の間にか二人で独特な色彩が溢れる街並を歩いていた。その辺りで私は「これは夢ではないだろうか」と疑問を抱き始める。芸能人が一緒だからではなく、その街並が妙に生々しくて美し過ぎたからだ。
坂の下、遠くには港が見える。私はここが「長崎だ」と直感した。
「これは、夢なんですかね」
私がそう聞くと、福山は少し悲しそうな顔をし「分かった?」と言った。
聞くと福山は芸能人ではなく「普通の」仕事(牛乳の管理だろうか)をしてみたくてこのような夢を見ているのだという。つまり夢の中で、今現在私と福山雅治はシンクロしているのだ。
「じゃあ目が覚めたらこの景色も忘れちゃうんですかね」
「忘れないといいな」
そう聞いた私の目から涙が溢れた。忘れたくない、この景色を。
目が覚めると泣いていた。
私はあの素晴らしいヴィジョンを忘れることはなかった、しかし夢でしかなかった。残酷だ。
残ったのは福山雅治の夢を見て泣いている独身男性だった。なんて残酷な。職場で腫れた目の理由も言えない。
その夜に私は何気なく「福山雅治」で検索してみたのだ。もしや近々結婚するというニュースでもあるのではないかと思いつつ。
すると驚いた。彼は長崎出身だった。私は何故かずっと広島出身だと思い込んでいた。
それを友人に話したら親切にもDVDを貸してくれたというわけだ。ちなみに観る気は起きない。
そして福山から結婚の報告はまだない。今アメリカなのだと思う。
雪ソムリエ
酔っ払った。ご機嫌さんだ。
飲み屋でタバコを切らし、売っているコンビニを探しながら繁華街をふらふらする。
テンションが高いまま、積もったふかふかの雪を見つけては顔を押し付けて歩いた。笑ったり口を開いたり色んなバリエーションの顔型をつくる。車のボンネット、バイクのシート。なんと黒ベンツにも私のデスマスクだ。はっはっは凄いだろう。酔ってるんだぞ。
ふと雪を食いまくっていた幼少時代を思い出した。よく食ってたな。うまかった。
きれいめな雪を選び、口に運ぶ。シャク。おお冷てえ。うまいうまい――
まずい。うーん、うまくない。飲み込めない。
こんな筈では。ぺっと吐き出しもう一度口に入れる。
――おかしい。やはりまずい。
何度もシャク、うーむ、ぺっ、と繰り返しながら歩いた。舌が痛くなった。
昔はもっと甘かった筈だ。誰、味変えたの。
カエルと私
幼い頃、田舎で暮らしていた時期がある。ネイチャーとアドベンチャーが都会っ子の私を解放した。
カエルもいた。
丁度収穫の時期だった、小さな川の側の草むらには可愛らしいサイズのアマガエルがたくさんいた。無我夢中で捕まえまくった。
大量のカエルをビニール袋に詰め、戦果を披露しようと大急ぎで帰った。ビニールの中蠢く小さなカエルたち。私はきっと笑顔だった。
玄関で転倒。頭部を打ち大泣きし、ばあちゃんの保護下に置かれる。
その間カエルたちは散り散りに脱走を図った。我が家の玄関は捕虜だった筈のカエル族の支配下に置かれた。
かなり捕まえたがどうにも面倒臭く泣きながら10匹ほど踏み潰した。怒られ、泣きながら亡骸の掃除をさせられた。しばらくにおった。
そんな思いを込めてこのブログはカエルと共に歩もう。カメをミイラにした話は又の機会にしよう。
バッドコミュニケーション
正月、近所でタマ蹴りに興じている小学生たちがいた。なかなかテクい。
しかし5歳位の少年が彼らに混じらず少し離れたところで一人、たまごっちに没頭している。年齢も離れているしきっと誰かの弟なのだろう。
私 「それはたまごっち?」
少年「うん」
私 「まだ流行っているのか、もう廃れたと思ってたよ」
少年「お兄ちゃんのを貰った」
私 「ほう、そうか。お兄さん(私)に見せてみろ。この赤いでっぱりは何だ」
少年「・・・」
私 「アンテナみたいだな。昔のには無かった気がする」
少年「(画面を見ながら)このたまごっちがごはんを食べたりして、」
私 「この頭の部分はもしや赤外線通信可能?」
少年「これは、このボタンを押したら、ごはんが、おなか減ってたら」
私 「これは赤外線? 他のたまごっちにビーつってデータ送信とか」
少年「ごはんあげたら大きくなったりする」
私 「この赤外線部分は光るのか?なんか昔のよりカッコいいな!」
少年「ごはんを食べて、うんちしたりする」
私 「(画面を見ながら)うんちか・・・」
「友達にはなれない」と悟った私はタマ蹴りする少年達を指差し「君はやらないの」と聞いた。
少年は「これはタケちゃんから貰った」とキーホルダーを見せてくれた。
そのまましばらく曖昧な時間を過ごした。私に非は無いと思う。
サンタゲーム
幼い頃から着ぐるみが苦手だ。
例えば母親に連れられて行ったスーパーマーケットの屋上で風船を配る二足歩行のパンダ的な存在と遭遇する。
子供たちが群がっているパンダを見ながら母親は決まって「ほら、お前も貰っておいで」と私を促す。しかし私は断固として動かなかった。
母親は「怖いの?みんな風船貰ってるのにー」と笑うのだが、私はパンダなんて怖くなかった。近づかなかったのは怖かったからじゃない。
――ボクはもう4歳だ。子供扱いは止めてくれないか。
顔が熱くなりながら真剣にそう考えていた私のプライドはいつもズタズタだった。
今でも着ぐるみを見ると鼓動が速くなってしまう。ディズニーランドでも絶対に「住人たち」には近づかない(向こうから近づいてきたら顔が赤くなって困る)。
そんな私にとってサンタクロースは特に困る存在だった。
クリスマスが近づくと母親に「サンタさんに何が欲しいか手紙書かなきゃ!」とニコニコされる。
――もういい加減にしてくれ!
ボクはもう10歳だ! サンタクロースなんて信じるか馬鹿! 手紙てお前! 第一うちは貧乏じゃないか!「幸せな家庭」ゲームか?無理すんな!
「サンタさんはいない」事実、そしてサンタは親であり、それを知っていながらもサンタさんを信じる子供として振舞わざるを得ないボク。親の期待、それはパンダから風船を欲しがり、サンタさんを信じている純粋な子供。
かつて親の期待と空気を読めずにパンダから風船を貰えなかった私だ。親を傷つけてはならない。サンタさんを信じなければ、サンタクロースはいるんだ・・・
「サンタさんへ スケボーが欲しいです」(スケボーは欲しかった)
その頃から、自分が親になった時こそがサンタクロースとの決着の時だと考えていた。
もし子供がボクに似たら、ボクが親として能天気にサンタの幻想を押し付けたら子供はボクと同じように悩むことになるのだろう。――苦しみを繰り返してはならない。
だがしかし、息子(娘)がサンタさんを心待ちにする、純粋な子供だったとしたら? やはりこのボクがサンタクロースにならねばならないのか? 親として?
――いや、1999年に世界は終わるんだった!(サンタは信じてなかったがノストラダムスは信じていた)
毎年クリスマスにそんな悩みを抱えていた幼い私も今では立派なおっさん。以前、老けた母に「子供らしくない、可愛くない子供で申し訳なかった」と話したことがある。
母は笑って「そんなんだから可愛かった、子供らしかった」と言った。救われた気がした。
「子供なのに親の前では子供らしく振舞えないコンプレックス」、きっと私だけじゃない筈。
今年のクリスマスもサンタさんへの手紙が量産されるのだろう。サンタクロースを心待ちにする子供たち、或いは大人が創り出したサンタクロースの幻想と格闘する子供たちの手で。
今でも実家にある小さなクリスマスツリーにはかつての私が恥ずかしがりながら書いたサンタさんへの手紙が何通も飾られる筈だ。昔を懐かしむ母親の手で。
親父にも貰ったことないのに
後輩が「財布厳しいのにクリスマスの出費が10万円超える」とうなだれている。はっは、悩め若人よ。
彼はホットドッグ・セオリー(或いはユーミン・メソッド)に乗っ取ったオーソドックススタイルなクリスマスを計画しているようだ。イブの夜はこうきゅうレストラン→指輪をプレゼント→予約していたホテルへ、的な。「ホワイトクリスマスになるといいね!」みたいな。
つまんねーなあー、金勿体ねえなあと言うと「そろそろ2年目だからその記念日を兼ねて」とぬかす。阿呆か、男がみみっちく記念日なんか気にすんな。そう言うと「じゃあどんなクリスマスが良いのか」ときた。
じゃあ私の話をしてやろう。そう、あれは私が20歳そこそこの時だ――
当時私には長く付き合っている恋人がいた。友人たちからも羨ましがられる自慢の彼女だった。
マンネリも超え、普通のプレゼントに飽きていた私は彼女の誕生日に冗談でガンプラ(ガンダムのプラモデル)をプレゼントしてみた。するとウケた。
私はそこそこ好きだが彼女はガンダムに関して素人だ。プラモデルすら作ったことの無い人間にあーだこーだ指示しながら組み立てるのは実に楽しかった。小学生以来のガンプラ、かなり熱中できた。
じゃあクリスマスも! クリスマスイブ、家に来た彼女に「メリークリスマス!」と渡した包みを開けさせるとそこにはガンプラ(ザク)が。「わーありがとう!」なんつって喜んでみせてはくれるのだが一瞬「本気?」的な顔をした。
それも計算済みだ。「はっはっは冗談だ」と部屋の奥から用意しておいたもう一つのプレゼントを出す。
「開けていい?」と目を輝かせた彼女が次の瞬間目にしたのはガンプラ(シャア専用ゲルググ)。
これがたぶんお笑いで言うところの天丼だ。笑いは起きなかった。
私が何を貰ったのかは覚えていない。年末二人でガンプラ作って出来上がったザクとゲルググを闘わせて遊んだ。
その彼女のことを懐かしみながら「そんなクリスマスもあった」と後輩に語ったら「サムいっす」と言われた。うっす。
キーポンジャンピン
窓の外から妙な音が聞こえてくる。今まさに。
パッチンパッチンパッチン しゅわわんしゅわバチ
先ほどから聞こえてはいたのだが、どっかで聞いたぞ?と気付いた瞬間理解した。なわとびか。
もう外は暗い。危なくないのだろうか。このリズムは二重跳びにトライングだな。
彼(彼女)はおそらく運動オンチ、すぐに「バチ」と止まってしまう。最初の3回、パッチンパッチンパッチンとリズムをつかみながら一重跳びで助走をするが、いつも二重跳びの二回目で失敗してしまう。二回目に成功しても何故かそこで止めてしまっているようだ。そのリズムのまま、跳び続ければいいのに。
懐かしい。私は昔三重跳びまでできたぞはっはっは。だけど途中で手を交差する「ハヤブサ」の進化したようなヤツはさっぱりだったなあ。
おっしゃ一つおっちゃんが教えてやろう、とも思うが不審人物に映ってしまうご時世なのだろう。やめておこう。
と言うより今の私に二重跳びができるかすら不安だ。「教えてやるから貸してみろ!」なんつって跳べなかったら目も当てられない。不審人物だ。このまま部屋から応援しておくことにする。
音に気付いてからだいぶ経つ。辛抱強い子だな。跳び続けるのだ。
追記
一時間近く窓の外からパッチンパッチンと聞こえていた。跳び過ぎだ。早く二重跳びできるようになればいいのだけれど。
ラブレター
ラブレターを出したことがある。高校1年の春。思春期爆走中だ。
中3の頃好きだった子に送った。いや、今思えば「好き」とは違ったのだろう。単に彼女が欲しかったのだ。
大人しそうだったその子とは殆ど話したことはない。急なスカウトみたいなもんだ。「私の彼女になりたくないですか?」的な。
内容はおぼろげだ。しかし(痛い)ギャグを交えながら大真面目に書いたことは覚えている。スカウトにも誠意が必要。
その誠意があり過ぎたのか、というより何を考えたのか私は自分の写真を同封してしまった。良く撮れたスナップ。友人たちとはしゃぐ私。
ポストに投函した瞬間冷静になり、うわあああああやっちまったと青ざめた。彼女の家の前を張り込みし、ポストマンが運んでくるマイ・ラブレターを家族面して「ごくろうさま!」なんつって受け取り証拠隠滅してやろうかとさえ思った。
彼女はその写真を捨ててくれただろうか。どこかで笑いものになってるのでは、或いはかび臭い押し入れの奥で何十年もナイススマイルのまま忘れられているのでは、と思うと彼が不憫で夜も眠れない。
ちなみにまだ、返事は無い。
痛痒い感じでたまに思い出す。ああ痛痒い。