マイク 5
4(前記事) の続き
5.
宿は古い路地に違和感無くポツンとあった。「パーマ屋」っぽい外観をしていた。
内装は分かりやすく外国人観光客向け。ゲイシャと獅子舞が「日本へようこそ!」と言っているような宿だ。
チェックインさせる。これで良し。「そろそろ帰ろうかな、疲れたよ」と告げる。
しかしマイクは「もう少し!」と言う。
私もなんとなく去り難くもあったので宿の一階でコーヒータイムとなった。眠気と疲れでぐったり、まったりした。
一階の簡易喫茶は少し広めの台所といった感じ。明かりは点いておらず、暗い。この時間宿にいる客は私たちだけのようだった。
窓の外の道路は日曜の夕方、小学生たちがキャーキャー遊んでいる。
こう言うとズレる気もするが、そこには昔の私にとって身近だった、庶民的な日常があった。それを眺めるマイクと私。
良い時間だった。この宿にして正解だったと思った。
子供は欲しいか?と聞くと「家族は多い方が良い、まずは日本人の奥さんが欲しい」と答えるマイク。
サンフランシスコまでマイクの家族を訪ねる空想をした。殆ど喋らなかった。
いい加減遅くなり、「残念だけどもう時間切れだ」と告げると悲しそうな顔をする。部屋に戻って休めと言うのに見送ると言う。
マイクは翌日東京を離れ、京都、大阪、とベタな旅行を続ける。東京には戻って来ない。
「コイツとはもう二度と会うことないのだろう」と思っていた。多分マイクもそうだっただろう。
良い旅になるといい、それ以上に大好きな日本で良い人間たちと出会えるといいと思った。
二人で宿を出る。日が暮れかかっていた。通りには誰もいない。
改めて向かい合う。このシチュエーションから導かれる言葉を想像し少し照れる。
「アリガトウマインサン!!」
寂しそうな笑顔で手を差し出してくる。
サンキューマイクさん、と握手する。
歩き出し、振り向くとマイクはまだ見送っていた。
中に入れとジェスチャーすると大きく手を振り宿へ入って行った。
何となく「この瞬間だ」と思った。この瞬間だ。
だから今でもこの時の感覚を強く覚えている。
数週間後マイクからメールが届いた。
「日本は最高だった、君と会えて良かった」といったことが書かれていた。懐かしかった。
そのメールには写真ファイルが添付されていた。
緑色に渋く光るRX-7の前で眼鏡を外しカッコつけたスーツ姿のマイクがハンサムに笑っていた。
うさぎ
知り合いのおばあちゃんが思い出話をして下さった。
正確な年齢は知らないがそのおばあちゃんはゆうに90歳を超えていらっしゃる。私が拝聴したのは彼女が7歳の頃の思い出話、つまり90年近くも昔の話だ。もはや歴史、センチュリー。その当時、1915~1920年に世界で何が起きていたのかを挙げてみよう。
・十月革命(1917)
・第一次世界大戦終結(1914~1918)
・ナチス結成(1919)
・ベルサイユ条約(1919)
・国際連盟が発足、日本は常任理事国に(1920)
一方その頃おばあちゃんは
・うさぎを捕まえた
・うさぎの耳を持ったら父親に「かわいそうだからやめなさい」と怒られた
・それを作文にしたら先生にハナマルを貰った
・ハナマルが何のマークか分からず親戚に訊いた
・意味を理解し父親が喜んだ
・いつも怒られてばかりだったから父に誉められてとても嬉しかったの
もの凄い些細な事件に思えるが幼いおばあちゃんにとっては大事件だったのだろう。
おばあちゃんは「昔のことは殆ど覚えていない」と言う。しかし捕まえたうさぎとハナマルの記憶は彼女の中に強く残った。90年もの歳月に打ち勝った貴重な記憶だ。今や彼女以外誰も覚える者のいない、彼女だけの大切な思い出だろう。それを分けて貰えて嬉しく思う。
しかし「記憶を私に分けて下さった」という記憶が失われ次お会いした時にまた同じ話をされる、という可能性は否めない。何十回でも聴きたい。
誕生
ハッピー・バースデイ。友人が赤ちゃんを産んだ。
人口が増えたってのに旦那は帰りが遅く、友人は暇をしているという。「赤ちゃんに会いに来てー」と言われマインおじさんは友人夫婦の住むマンションを訪問してきた。
やはり産後、友人はふっくらしていた。立ち振る舞いも母親っぽくなってる。すげえ。変わるもんだ。
赤ちゃんはガッツに似ていた。なんで赤ちゃんはガッツなのだろう。ガッツが赤ちゃんだ、と考える方が自然なのかもしれない。
産まれたての赤ちゃんはぐにゃぐにゃだ。私はだっこに慣れていない。どこをどう支えて良いか分からず笑われる。
抱きながら「パパでしゅよー」と恥ずかし気も無くセオリー通りの王道ギャグをかます。
頭の中ではテレパシー。ニン を送信。
――はじめまして、マインおじさんだ。とりあえずはお兄さんと呼びなさい。
ニン。どうだ。そう、伊東四朗だ。
私の顔をちゃんとメモリーしたか?ニン覚えたか?・・・そもそもお前目は開いてるのか?
よし、と赤ちゃんを母親に返しコーヒーを飲んでいると「見て見てー」とアルバムを渡してきた。
家族で撮ったスナップか何かかと思い、テーブルに広げて見る。
――スプラッタ。
「そんなに血は出なかった」と言うがこれ程ダイレクトな出産写真は見たことない。なんて衝撃的な。こんななのか、出産は。ここがああなって、こう出てきたのか。
てかお前なんで普通に見せるんだ。平気なのか?それにこれはアレだ、旦那怒らないのか?
などと聞ける訳もなく普通に「ヘーやっぱ出産って大変なんだなー感動的だよなー」とフムフムを装う。
内心はクラクラだった。
目を閉じるとまだ出産シーンが。何てモン見せてくれたんだ。
私は血に弱い。女性は凄い。
出産には立ち会えないと思う。情けない父をどうか許して欲しい。
みーくん
なんだか最近は高校時代のことを良く思い出す。以前にも書いたがそういう時は思い出しまくることにしている。今もまだ高校時代を懐かしがっている。
思い出しているのはみーくんという同級生のことだ。今、私の頭の中には彼の「なんでやねん!」が響いている。
彼はお笑いが大好きだった。特にファンだったのは「ダウンタウン」だ。崇める程だった。
ダウンタウンが出ている番組は必ずチェック。見ながらもビデオに録画、保存するほど研究熱心だった。番組の次の日には「ダウンタウンはやっぱ天才やわー・・・」としみじみするみーくん。
彼はビジュアルも悪くなく、その朗らかで無害な性格からクラスの女子にもそこそこ人気のある子だったのだが、私は彼と話をする度に「やれやれ」と感じざるを得なかった。その意味では私にとって確実に有害だった。
私が「やれやれ」となるのは彼がお笑いを愛し過ぎていたから。そして彼には悲しいほど笑いのセンスが無かったからだ。私は未だに彼ほどお笑いが好きで、その上であれほど笑いの神様から見放された人間を見たことが無い。神様も惨いと思う。
みーくんをジャンル分けすると「関西圏出身じゃないのに関西弁を使いたがるお笑い好き」だ。他のジャンルは知らないが最も笑いと縁遠いジャンルの人間だと私は思う。そして彼自身はその重要な事実に気付いていなかった。無自覚のまま、ただ純粋に関西人に憧れていた。
みーくんはいつも「お笑い」のタイミングを探していた。
会話の最中でもちょっとしたことで関西弁のギャグが飛び出す。ギョっとしつつも彼を傷つけないように平気な顔をしてそのボケを会話の後方へと流すのは結構な苦労だった。
もし「ボケ」をその場の誰かが発したらすかさず嬉しそうに「なんでやねん!!」と「ツッコミ」を飛ばすみーくん。
お前こそなんでやねん。東京出身ではないか。よしなさい(やめなさい)。
性質の悪いことにみーくんは一番「ボケ」が好き、つまり自らがボケたがる子だった。ダウンタウンでも「松本人志」派であった彼はシュールなボケを好んだ。
しかしそのボケはシュールと言うよりもナンセンス・テロリズム。関連の無いことを面白く関連付けようとしてはいつも失敗。ボケる寸前に彼が発する「今からボケちゃうぞ!」オーラと嬉しそうな関西弁が自らのボケを的確に潰していく。望み通りの笑いが起きることは滅多に無かった。私は周りの友人ほど優しくなかったので失笑→本気笑いにまで至ることはたまにあったが。
しかしみーくんは負けない。笑いが起きないのは「自分のボケが高度過ぎるから」「シュール過ぎるから」と結論するみーくん。その自信があれば何でもできたろうと思う(唯一できないのはファン)。自分が勝手に「相方」設定している友人が突っ込んでこないことを怒るみーくん。「もー、君とはやってられんわー、ボケ潰しやわー」と気持ち悪い関西弁もどきで言われるその友人こそ心底「やってられん・・・」だったろうと思う。
それでも優しい気持ちの時にはみーくんを相手することもあった。
彼が楽しそうに話す「いかにダウンタウンは凄いか」トークを聞いたり、彼演じる松本人志のモノマネなどをふんふんと鑑賞する。
私はお笑いを人並み程度にしか好きじゃなかったし今でも積極的に見ることは無いのだが、結局彼の口から私の知らない「笑いの方程式」を聞くことは無かった。彼は常に「流行っている面白いもの」のフォロワーでしかなかった。そして長くなる話にいつも私は「やれやれ」、な気分になるのであった。
「そうそう、みーくんはやれやれ、だったナァ・・・・・・ってなんでやねン!!」
ノスタルジック気味な今の私はみーくんにそう突っ込んで欲しい。
当時はイラっと来てしょうがなかった突っ込む瞬間の彼の輝くような笑顔をもう一度見たい。話し込みたいとは思わないが、2分程再会したい。目の前であの「なんでやねん!」を聞いて「あーそうそう、コレコレ!」と懐かしみ、彼の左肩をポンポンと叩き、そのまま立ち去りたい。
警察官と阿呆
友人 と二人でしこたま飲んだ。
その帰り道、急に「トイレに行きたい」と私に訴える友人。漏れる、と言うなり人通りの多い道端でおもむろに放尿スタート。
おまわりさんに怒られるぞ、と思い周りに目を遣ると本当に向こうから自転車に乗ったおまわりさんが。
友人も気付いた。しかし放尿は止まらない。
この漫画的なタイミングの悪さに続くであろう「漫画的展開→漫画的オチ」を期待し他人の振りをしつつ見守る。・・・しかしおまわりさんは何も言わぬまま放尿する友人のすぐ後ろをただ通り過ぎて行った。ドキドキして損した。
友人はおまわりさんを見かけると「あ、マッポ」と舌打ちする程嫌っている。そんな彼の中には
「悪いことをする+おまわりさんに怒られない=俺の勝ち」
「 〃 +おまわりさんに怒られる =俺の負け」
という誉められたもんじゃない公式が少年時代から存在している(ここでは書けないような負けっぷりの経験者でもある)。
長い放尿を終え駆け寄って来、チャックを上げながら「勝った!勝った!」と友人。すっきりと晴れやかなその笑顔は子供のようだった。
しかし大人だ。勝手におまわりさんと勝負するのもそうだが、そもそも悪いことをする前提の勝負自体どうにかならんのかと思う。
立ちションして「勝った!」てお前。
母親
凄くキレイなお母さんでも子供を乗せ自転車をこぐ時は完全に動物だ。馬のようなパワー。尊敬する。
更に二人乗りでなく三人乗り、自転車の前だけでなく後ろにも子供を乗せている女性をたまに見る。あれは危なくないのだろうか。
先日の雨上がり、ビジュアルまでも馬のようなお母さんがやはり前後に子供を乗せ、猛スピードで自転車をこいでいた。子供は二人とも爆睡中。気にせず走るお母さん、グラグラしながらも眠り続ける子供たち。3人ともすげーな、と思いながら眺めていた。
自転車を駅前のスーパーに停めようとするお母さん。急いでいたのだろう、キーーーとママチャリ特有の鬱陶しいブレーキ音をさせながら勢いよく降りる、と同時に前後の子供たちの頭を一発ずつ「起きな!!」とハタく。
お母さんいやおっかさんはまだ眠そうな小さい子供を抱え、大きい方にバッグを渡し、小走りでスーパーに入って行った。
バッグを持って後を追うお兄ちゃん。献身的なその姿は母親のマネージャーのようですらあった。
私もああいうおっかさんに育てられたらもっと逞しくなれたかもしれない。少し子供たちが羨ましいと思った。
だが自分が、馬のようなおっかさんを嫁にするのは、如何なものか。蹴られるのはご免だ。
しかし豪快かつ暖かい家庭になりそうだとも思う。暖かいのが一番良い。
01:02:20
久米 「えーそしてですね、マインさんは今流行のブログ、をお書きになっているとか?」
マイン「私のなんてくだらない雑文ですよ(笑)。」
久米 「アメーバ・・・『アメブロ』、ですか? ホリエモンのライブドアが有名じゃないんですかね?」
マイン「アメーバは素晴らしいんですよ。サイバーエージェント、藤田社長の魅力もあり、ね。バンバン読者登録したりしなかったり。あ、iPod当たらなかったからもう持ち上げる必要無いんだった(笑)。 ハハハ(笑)。」
ハハハ。眠れない。
何故私が有名になっているのかまでは妄想しなかった。
インタビュアーが久米なのは単に古館が苦手だからだ。
ネイキッド・ランブラー
「[ロンドン 15日 ロイター] 英国全土をブーツ以外は全裸で歩き、14回も逮捕され、懲役5ヶ月を受けた元英海兵隊員が再び全裸旅行を始めた。なんと今度はガールフレンドと一緒だ。」
「「ネイキッド・ランブラー(全裸の徘徊者)」とあだ名されるゴフさんはロイターに「なぜ服を着ないのかって?自分が人間であり、人間であることは少しも恥ずべきことではないという事実を祝福するためですよ」とコメント。」(エキサイトニュースより引用)
14回も逮捕されてるのに又出発したのか。ただの逮捕されたい人ではないか。
それにしてもコメントにある、
「人間であること=少しも恥ずべきことではない→服を着ない(すなわち祝福)」
という流れが良く分からん。
つまりこのひとは「人間に生まれたって恥ずかしくないぞ!やっほう!」とすっぽんぽんになっているのだろうか。うーん。
すっぽんぽんこそ動物ではないか。人間は服を着てるもんだろう。
妄想してみた。
アダムとイブが神に禁じられた知恵の実を食べ、命の実のあるエデンから追放された原罪。
二人は知恵がついた結果裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの葉で隠すことを始める。イノセンスの終焉。
恥ずかしくなるのは「他人」の視線を気にするからだ。つまりここにおいて、アダムにとってのイブ、イブにとってのアダムは「他人」として現れている。エデンでは存在しなかった「他人」。その他人との境界線をつくるイチジクの葉、すなわち洋服。
ゴフさんは自らのイチジクの葉を剥ぎ取った。神のもとに居た頃のアダムのように。
他人の視線なんて関係ない。気にしない。恥ずかしくなんかない。だからわざわざ人前、他人の前を歩くのだ。服を脱いだ裸の動物としてでなく、イチジクの葉を捨てたアダムとして。
それはイノセンスへ、エデンへの回帰。
原罪の許しを神に乞うが如く、エデンを目指し歩き続ける現代のアダムとイブ。
そして逮捕。いつも辿り着くのは牢獄。
そもそも行き先エデンじゃない(今回はジョン・オグローツ)。
やはり「ブーツ以外全裸」というところに甘さがあるな。これではもしエデンに辿り着けても単なるブーツフェチと神に誤解されるではないか。全部脱ぎたまえ。
もしかしたら全人類が一斉にイチジクの葉を捨てすっぽんぽんになったらエデンへの道が出現するのではないか。といったくだらん妄想までしてしまった。くそう、ネイキッド・ランブラーめ。
リストカッター
リストカットの略称は「リスカ」、する人を「リストカッター」と言う。
自分の手首を自分で切り、自分の血を流す。そこには人それぞれ様々な理由、思いがあるのだろう。
随分前になるが知らねばならない事情があり、ネットで「リストカット」をコツコツ調べていたことがある。多過ぎる情報に驚いた。こんなに多くの人間がリストカットをしているのか。こんなに問題になっていたのか。
検索して出てくるのは主に体験談だった。「今日も切っちゃった・・・」や、「見て見て」といった類まで、様々だ。
しかしふざけて「ほらー血だらけになっちゃったー」とアピールしていても、やはり共通する痛みはあったように思う。
色々調べているうち、鬱病でリストカッターの方の日記に出会った。きれいな文章で、とても素敵な日記だった。
面白い、と言うと不謹慎なのだろうか。何と言えば良いのだろう、「面白いこと書こう」ともせず日常を淡々と綴ったその日記は何故か感動的ですらあった。「ダイエットにまたもや失敗」などどうでも良いくらい些細なことにすら心を動かされる。文章に力がある方だったのだと思う。
その日記を発見して感動した私は酷く酔っ払っていたというのもあり、そのサイトにある「掲示板」に産まれて初めて書き込んでみた。具体的にどういう内容だったかは覚えていない。ハイテンションのままハイテンションを装ったと思う。
次の日シラフになり自分のカキコミを読んで激しく後悔する。私はカキコミの最後に「がんばってください!」と書いていた。
何を書いているんだ、何が「がんばって」、だ。私は何様だ。
これはなんとか謝らなければ、しかし謝ることなのだろうか。謝ることこそおかしいのではないか。それに楽しげな掲示板の雰囲気を暗くするような、「すいませんでした」的なことは書きづらい。昨日とのテンションの差も恥ずかし過ぎる。
よって「失礼があったらすみません」といったことなどをメールで書いた。真剣に書いた。知らない人にメールすることも初めてでかなり緊張した。
しばらくして届いたそのメールの返事には「気にしないで下さい、全く嫌な気はしませんでしたよ」とあった。つらつら書いた私のメールの文章、一つ一つ全てにちゃんと反応して下さっていた。
それが嬉しくて、すぐさま返事を出す。改めて自己紹介や、私がリストカット、自傷を調べていた事情などもざっくばらんに書かせて頂いた。
そのメールの返事もしばらく来なかった。1、2週間か経ち届いたメールにはやはり丁寧な返事が書かれていた。膨大な量だった。
やはり嬉しく、またすぐに返事を書く。そして1、2週間か経ち、更に長い、物腰の柔らかい優しい返事が届く・・・
そのあたりでようやく気付く。
これは、もしかしたらこの方はもの凄い時間を私へのメールに費やして下さっているのではないか。
その後恐る恐る数回やり取りをした。が、果たしていつしかメールは来なくなった。それから数ヶ月してサイトも閉鎖した。
彼女は私からのメールを喜んでいてくれていたとは思う、しかし同時に負担だったのだろうとも思う。
今考えれば申し訳なかった。私は楽しかったが、きっと気付かないうちにおこがましい優しさや色んな類の押し付けがましさがあったに違いない。無自覚な「善意の押し売り」が一番性質悪い。反省した。
例えば、そう言いたくなる気持ちはもちろん分かるのだが「リストカットを止めるべきだ」、「止めようよー」と軽々しくは言うべきではないのだろう。手首の傷はリストカットを止められない/止めたくない苦しみの現れなのだろうから。
しかし「君がリストカットをすることは自由だが悲しむ人間がいることも覚えていて欲しい」、「君がリストカットを止められるように私は祈っているよ」、こういうことを「当人に言うこと」も善意の押し売りになり得ると思うのだ。むしろこういった台詞の方が抑圧的、そのひとにとってプレッシャーになるのではないか。
例え強くそのひとのことを心配していたりそう思っていても言葉の力は無限に膨らみ得る。だから難しい。
おそらくメールでの私もそうだったのではないかと思う。
どれだけ心配しようが、人間が他人にできることなど些細なもんだ。些細な力でもって、苦しむそのひとの傍で「私」もまた一人で苦しまなければならない。単に私の持論かもしれない。
ある友人は若くてメチャクチャ可愛い子と付き合っていた。直接会ったことはなかったのだが自慢気にプリクラを見せられ、しょっちゅうむかついていた。
しばらくして知ったのだが、その彼女もリストカッターだった。友人は自分の彼女が「リストカッター」であることを誰にも言えなかった。たまたま私には話してくれていた。
ある日彼が私の家で飲んでいる時、そいつの携帯に彼女から電話が来た。普通に「今ツレんちー、飲んで帰るー」と出る友人。
電話を代われ、とジェスチャーをし、初めてその子と話をした。普通に世間話をした。冗談で口説いてみたり。
酔いもあり感情が破裂したのだろう、気付くと後ろで友人が号泣していた。驚きながらも普通に会話を終え、電話を切り、友人に携帯を返す。彼は嗚咽しながら私に「彼女と話をしてくれて嬉しい」と言った。
うっわお前なに泣いてんだ、なに阿呆なこと言ってんだ、と指差しながら爆笑しつつも本当は私も泣きそうだった。
友人はどれだけ心を痛めていたのだろう。彼女だけでなく彼にも抱えきれない様々な思いがあった。私にはその痛みの片鱗しか見えていなかったのだろうと思う。
ひとの痛みがそのまま自分の痛みになればいい。他人が感じている痛みをそのまま自分も感じることができたら人間はどれだけ楽になれるのだろう。
そう感じることができないから人間は楽になれない。だから苦しい。悩まなければならない。
森のおじさん
小学生の頃、私は昆虫に夢中だった。何度も言うが、阿呆だったのだと思う。何故あんな生物が大好きだったのだろう。今は触ることすらできない。
夏休みには家から少し離れた公園へ友人と昆虫採集に行った。狙うはもちろんクワガタだ。自転車で捕りに行く。ガチャガチャギアチェンジしながら公園へ飛ばした。大したエモノが捕れなくてもそのツーリングが楽しかった。
私たちが利用していたのは子供にしては巨大過ぎる公園だった。十分森だった。
金持ちな友人はいつも虫除けスプレーを持たされていた。虫を捕りたいのか避けたいのか。
大きい公園とは言え所詮都会、クワガタは滅多に居なかった。「カブトなんてだせえ」と思ってはいたが野生のカブトムシなんて見たことない。デパートやスーパーでしか見たことない。
私たちが発見できたのは大抵コクワガタ。ノコギリクワガタは稀、ヒラタクワガタは稀中の稀だった。
思い出した、いつか私が偶然捕まえたヒラタクワガタは足が一本無かった。それでも大切に飼い、随分長生きした筈だ。
夏休みの絵日記で幼稚な絵とともに「ぼくのクワガタは足が一本ありません」と書いたらハナマルを貰い、先生のレスには「早く生えてくるといいですね!」とあった。
生えるわけあるか。ばかなせんせいだ、と思った記憶がある。
その日は森を奥へ、奥へと進んだ。「葉っぱがギザギザ、幹はシワシワ」なクヌギの木を期待しながら。
首から緑色の虫かごを下げながらも気分は探検隊、湿った大人の雑誌を発見して爆笑したりC級品でしかないカナブンを捕らえながら奥へと進む。
テンションが止まらなかったのか、その日はそれまで行ったことの無い未知の領域に踏み込んでいた。
どんどん歩き、自転車からも随分離れたところへ来てしまった。そのあたりはジャングルのように日が遮られ、地面もジメジメしている。異空間に思える。このまま進んだら何処に辿り着くのか当時の私たちは知らなかった(単に公園の反対側の道路に出る)。
いきなり木陰からぬっと現れる、汚い格好、ひげ面のおじさん。
友人と固まる。
「何やってるの?」ニコニコ聞いてくるおじさん。ビビりながらも、
「クワガタ探してます」と答えると、
「そうかー、見つかった?」と眼を細める。
「いいえ、まだです」なんて答える私。警戒心は消えていない。「知らないおじさん」だ。
「それ何?」と聞いてくるおじさん。
友人の手には虫除けスプレー。体に塗るよりも道すがら蛾やアリなどの「敵」を退治するのに使っていた。そんな使い方をしていたから殆ど空になっていた。
「ちょっと貸して」と言われ困る友人。
おずおず差し出すとおじさんは遠慮なくスプレーを自分の体中に吹きかける。
呆気にとられる私たちを置いてそのまま茂みにずんずん入って行った。
「おっ!凄いねえこれ。虫寄って来ないよー」、おじさんの声。
ガサガサと茂みの中ではしゃいで見せるおじさんに私と友人は笑い合った。このひとは良い人間だ。
その後、クワガタを探さずにそのおじさんと色んな話をした。
何年生?ドコに住んでるの?学校楽しい?といったごく普通の会話だったと思う。
私たちも質問した。
ココで何をやってるんですか?子供は今何歳ですか?
おじさんは今夏休みで友達とこの公園でキャンプをしている、と私たちに説明した。家族は今は居ないと言った。
この二つの答えだけ強く覚えている。おじさんは終始笑顔だったと思う。
「じゃあ今度会う時までにクワガタ捕っといてあげるよ」
ニコニコそう言うおじさんに私たちは本当?!スゲー!!と狂喜した。友人が「もう一回貸してあげる」と虫除けスプレーを自ら差し出す程だった。
また2、3日したら来ると約束し、私たちはギアチェンジしながら家路を急いだ。もうだいぶ暗くなっていた。
家に着くなり母親に門限を破ってしまったことで怒られ、言い訳をすると更に激怒された。
こんな時間まで知らないおじさんと遊んだって何?! 友達になったって何!
そう怒鳴られ私は珍しく泣きそうになりながらも反論した。
おじさんと約束したんだ。友達になったんだ。
おじさんは良いひとだった。
母がそのおじさんのことを当時はまだ少なかったであろう「路上生活者」的な表現をしたかまでは覚えていない。しかしそういうニュアンスでおじさんを警戒し、「おじさんのことを下に見ているのだ」と子供心に理解した。私としてはそれが悲しかった。
結局その森の奥へ行くことはなかった。私はおじさんとの約束を破った。
以来おじさんとは会っていない。
二十歳を越え、何かに腐っていたある日に自分のこれまでをもう一度歩いてみようと思い立ったことがある。
当時の家、小学校、中学校、駄菓子屋、児童館など、それらを実際に歩いてみた。幼い私は居なかった。
公園にも行った。思ったより狭かった。森もあった。やはり小さかった。
虫除けスプレーを持った友人もいない。ただ大人になった体を持て余すだけで森の中には入らなかった。
その森の奥で幼い私とかつての友人は夏休み中のおじさんに出会った。