壽屋 赤玉ポートワイン | 日本の広告/ニッポンのCM Advertising in Japan

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$ニッポンの広告 Advertising in Japan-サントリー赤玉ポートワイン

壽屋(現サントリー)「赤玉ポートワイン」ポスター 1922年(大正11年)
日本ではじめてのヌードポスター広告。

○コピーライター:片岡敏郎 ○チーフデザイナー:井上木它 ○モデル:松島栄美子


甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」が発売されたのは、1907年(明治40年)。
製造・発売元は、鳥井商店。


サントリーの歴史は、1899年(明治32年)2月1日
鳥井信治郎が大阪市で鳥井商店を開業し、ぶどう酒の製造販売を始めたことに始まります。

それが株式会社壽屋の名前になるのは、1921年(大正10年)。

社名がサントリー株式会社になるのは、1963年(昭和38年)になってからのことです。



以下、『新しきこと 面白きこと サントリー・佐治敬三伝』廣澤昌著(文藝春秋)より引用。

「信治郎はこの先行する全国ブランドにならって、より美味な調合で「向獅子印甘味葡萄酒」を出した。しかし、信冶郎はこれにあきたらず、さらに品質を改良した甘味葡萄酒をつくり、「赤玉ポートワイン」というまったく新しい名前、新しいラベルで発売した。大胆にして鮮烈。しかも、商品を売るためのあの手、この手が、時代を先取りする創意と積極さをもって次々に展開された。新聞広告、開函広告、琺瑯看板、赤玉歌劇団、火事見舞い――あらゆる機会、媒体はすべて宣伝の材料とされ、奇抜と映るまでの才気も、暴走と見えるまでの強気も、後で振り返れば正確で精妙な販売促進活動の軌跡を描いていた。信冶郎の商いの勘は今日の全マーケティング領域に及んでいたことがわかる。
 当時、全酒類に対する洋酒類の製造量はまだ〇・二五%に過ぎなかった。ほとんどの人にとって未知の物を売る。それが信冶郎の課題であり、そのためには見込み客にその物の魅力を伝え、欲しいと思ってもらわねばならなかった。さらには、これをいかに楽しめばいいのか。そうした生活提案も必要だった。また、店に置いてもらう必要があった。こうして、壽屋は創業の当初から、宣伝に力を入れ、人々のイメージを喚起することで、売り上げを拡大していったのである。まだ必需品でもないものを買ってもらうには、人々の憧れをかきたて、引き付ける必要があった。まず、夢を売り、商品の購買に結びつけていく作業が欠かせなかったのである。虚がなくては実もない世界であった。」

2004年に「世界最高のクリエーティブディレクター」に選ばれた
クリスピン・ポーター + ボガスキー (Crispin Porter + Bogusky) の
アレックス・ボガスキー(Alex Bogusky)の名言、
「世の中にある全ての物がメディアだ」を
鳥井信冶郎は、100年前から地でいっていたのです。