寧夏夜市辺りをぶらぶら
なんか公園がある?
ふーん?
あれ!?この写真?
うん?この光景みたことある!?
コレってもしかして
父親と初めて台北旅行したときのことを
思い出して来た。
父と二人で初台北旅行
どこに泊まったのかな?いろんなところに
いったけど、
どこだったんだろうと、よく考えていた。
(45年くらい前の話だし、何も覚えていない)
それでもバイクばかりが走っていたこと。
あまりきれいな街ではなく、龍山寺のディープな雰囲気の感じのところが多かったこと。
カットフルーツは食あたりするから食べてはいけないと言われていた時代。
屋台もとても汚くて、食べる気はしなかった。
父は私が生まれる前によく
台湾旅行をしていたみたいで
父なりにいろんな思い出があったようだ。
父:
自分は疲れたからホテルで休む。
円形の屋台集合があって
面白いから行ってこいと、いわれ
ひとりでタクシーに乗って行くことに。
タクシーの運転手さんに説明すると
すごく怪訝そうか顔。
行ってみるとこんな感じ ↑だったような?
(写真はお借りしました)
え?ここ?
何が楽しいの?
中に入ると廃墟のような屋台
ほとんどしまってて数件が食事を提供してる感じ
中に入っていってもなんかバラックの
今にも倒れそうな建物
そりゃタクシーの運転手さんもなんでこんなとこ?って思うはずだわ
もちろん何も食べずに帰る
父のイメージはこんな感じで↑
食事ができてたのかも?
その後火事で崩れたり
建て直されたらしたのち現在の公園に
なったみたい
ずっと気になっていた
謎が解けてスッキリ!
ここだったんだ!
まさか寧夏夜市の近くだったなんて
おまけに昨年行った三元號はここにあった
有名なお店だったんだ
※
圓環夜市で、伝説の魯肉飯屋台として名を馳せたのが三元號。創業90年以上の老舗です。夜市の閉鎖を機に現在の地に移転、お店を開業しました。当時と変わらぬ味が人気のお店です。
(昨年も今年もガイドさんに
おすすめされたお店。
フカヒレが
有名らしい)
建成圓環
前身は日本統治時代の1908年(明治41年)、大通りが交差する地点に形成された円形の小型公園で、円公園と呼んだ。その後淡水線開通に伴い大稲埕地区の中心地として屋台街が形成された。
太平洋戦争が始まると、1943年(昭和18年)の台北大空襲以降は防空用貯水池とされたが、日本の敗戦に伴い屋台街として復活、1980年代までは台北市のランドマークとされた。しかし台北市の商業中心地が頂好地区に移ると円環の商業的地位が下落、1993年(民国81年)及び1999年(民国88年)に発生した火災により荒廃すると10年にわたり放置された。
2002年(民国91年)に馬英九が台北市長に就任すると、設計士の李祖原の協力を得て2億台湾ドルを投資し建成円環美食館を建設、屋台型飲食店を中心としての再開発を目指した。しかし以前入店していた人気店は荒廃期間中に自己資金で外部で開業しており円環への再出店が行われず、二階部分がまったく利用されないばかりか、一階の20店舗のスペースに僅か6店しか入店しない状況となり、経営が立ち行かない状況となり、2006年7月2日に営業を正式に終了した。
2008年(民国97年)、台北市政府は建成円環を台北円環と改称、2009年6月22日に内部の改装を行い再開業した。しかしテナント出店した華旭公司とのテナント料について市政府側と摩擦が発生、2011年(民国100年)5月1日に閉店、2012年(民国101年)4月9日に余湘及聯広集団により再度営業が再開されたが、再び円環の将来像を巡る論争が起こり、2015年に市長の柯文哲は、2016年7月以降の余湘及聯広集団との契約更新は行わないとした。
2016年7月に管理が台北市政府に移って以降、建物の取り壊しが行われ、2017年7月に緑地や噴水のある公園に生まれ変わった。建設の過程で再発見された、戦時中の防空貯水池の跡も公園の一部として保存されている。(Wikipediaより)