《くまさんぽ》
本日の散歩はこちら→《景徳院》
先週は岩櫃城そばにある、潜龍院跡をご紹介しました♪昌幸パパが武田勝頼公を迎える為に急遽作った御屋敷跡でしたが結局はここに勝頼公が来ること無かったわけです。
その時勝頼一向がいたのは大河ドラマ《真田丸》第1話第2話あたりで武田家滅亡が描かれていたその場所、
景徳院をご紹介。
勝頼公の母は諏訪の姫で、勝頼公も誰でも知っている桜の名所、高遠城で住んでたので長野県に縁のある人なんです。
織田徳川連合軍に攻められ真田家の岩櫃城行きを断念し別の城に向かったものの、そこで家臣の裏切りに合い行き場所を失った勝頼公一向。この時家臣も含め50人程度しかいなかったそうです。対する織田軍は4000人!!
勝負になりませんよね。
この時に勝頼一向はどこに向かっていたのか?いろんな説があるようですが、武田家先祖由来の寺を過ぎ甲武信ヶ岳そばを越え今度こそ真田家の岩櫃城を目指していたとの話もあるようです。
ですが織田徳川連合軍に追い詰められ、息子信勝に家督を譲る儀式を行い最後の戦いに臨み、最後は家族や家臣達と自害して果てたそうです。37歳。息子は16歳だったそう。
徳川家康公はここに勝頼の菩提を弔う為、武田家滅亡後すぐに景徳院を建立したようです。
ここに寺を建てた弔った事で残された武田家臣達の人気を得て、のちに織田家が混乱した時に残された旧武田家臣達は徳川家に仕えるようになります。
ここで主君が命を落とした事を聞いた真田家はどういう思いだったんでしょう。
大河ドラマでは大泉洋さんが『おいたわしや』とがっくり肩を落としていたシーンが印象的でした。
ここ景徳院には、信勝に家督を譲る儀式をした松の木や、
自害した場所、
お墓などが今でも残っています。
2006年お墓の保存修復中に地下に埋納施設が存在する可能性が分かって、本格的な発掘調査が予定されているそうです。
そしてこの景徳院より少し下に合戦場があり石碑が建ってます。
またもう少し下ると、勝頼一向が最後の夜を過ごした大善寺も残ってます。甲州市県道218号線沿いを上がっていくと、どんどん道は狭くなり住宅も無く最後の場所あたりは山の中って感じです。駐車場に停め目の前の階段を登ると山門があります。武田家最後の地に思いを馳せながら是非行ってみてください。
5月20日㈯17時~[attention!]
本日のくまさんぽ…景徳院、ご紹介しました。
くまさんぽは田中博文、通称{くま}が毎週いろんな場所に訪れるコーナーです。2017年も引き続き真田家に関係する場所にattention!してお送りしてます。










