「後継者が誰なのか」ではなく「いかに摂理を成していくのか」 | 神と共に生きる真なる息子娘として

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神と共に生きる真なる息子娘として、真実、正義、原理の道を行くことを訴える桜井正実のブログ(前stfgraduateのブログ)

今日の訓読のみ言友の会の6月11日の記事の一部を抜粋します。

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先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線をあとにする時、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残して行くことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていてください」と言う人がいるとすれば、その人こそは歴史においても私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。「御旨と世界」 P.614
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お父様は地位と権力を託すのではなく使命を託せる後継者を願われたのであり、お父様が霊界に行かれたとしても神を愛し、神のために親孝行してくれる人が出て来ることを願われました。真の父母様を崇め奉る文化というものは、お父様の教えから離れている異質なものであると感じます。神が摂理の中心だと語られる顕進様は、お父様の無念を思い、お父様のハンを解放し、神のみ旨を果たされようと進んで行かれています。

顕進様の過去から現在に至るまでのみ言を振り返ってみても、顕進様の関心は「お父様の後継者が誰なのか」ではなく、ただただ、「いかに神の摂理を成していくのか」にあることが分かります。

摂理の中心は神であり、摂理の中心人物は神が選んできたのですから、最も使命を果たすのに相応しい方が自然に中心になっていくのではないでしょうか。私見ですが、誰が後継者なのかではなく、いかに摂理を成していくのかに集中したら、協力する道が生まれて来ると思います。

神を中心として四位基台を完成した家庭が真の家庭です。親なる神を中心とするなら、一つになるはずです。所属が違っても、全ての祝福家庭が真の家庭が一つになることを願い、協力していこうとする姿勢が必要だと思います。


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