天賦の才能というものが存在するのか? という話で。。
僕は「ありそで、なさそな気もする。。」という感じで、よくわからないというのが正直なところです。

今現在は「なさそな気もする」が強いです。なぜならば。。

「才能」というのは実は、「スタートラインを前にもってくるだけ」のような気がするからです。

具体的にいいますと。。たとえば胎教がそうですよね。お母さんが、お腹の中にいる子供に、出てくる前から「英才教育(?)」をほどこします。これ 自体はとてもよいことだと思います。

そして、これだけ胎教が普及しているということは、実際に効果があるのだと思います。でもその「効果」というのは早期英才教育の効果であって天賦 の才能ではありません。

たとえば胎教でモーツアルトを聴かせていたことにより子供が早い時期から「耳」がよくて、5才で専門的にピアノを習わせようとしたら、同い年の別 な子たちとくらべて格段に最初からうまかった、とか。。

これは、始めたスタートラインが早かっただけですよね。0歳児どころかマイナス5ヶ月歳の頃から始めている。だから、ある時期に同じ月齢の子らを ならべたときに、ひとりだけ上手だったりする。

スポーツもそうですね。よちよち歩きの頃から親が意識してサッカーボールを与え、一緒にボールで遊んであげれば、その子はあたりまえのようにサッ カーでは「早熟」になります。

僕は、自分が子育てしていて、そして周りをみていて思うのですが、このサッカーボールの例のように極端にひとつに特化して遊ばせるということをし ている親は、ほとんどいません。なので、極端なことをやらせている子供は伸びるのだと思います。わかりやすくいえば「星一徹教育」ということで す。

僕も含め、親心として「いろいろな才能があるかもしれないことを確認したい」ということで、小さいころはいろいろ買い与えてみます。それも、悪い ことではありません。子供がいろいろな遊びをしている時点では、まだ「スタートライン」に立たせていないのです。そしてほとんどの子供はスタート ラインに立たないまま小学校低学年ぐらいになり、そこで習い事を始めてやっとスタートラインに立ちます。
「英才教育」という観点ではこれでは絶対的に遅すぎます。