本日は、vol.015-018,020 で書いた「ムーブメントに乗るということ」の番外編で
、自分が最近読んだ「東京トンガリキッズ」の読後感について書いてみます。
具体的には、vol.017の続きになります。

この話は、「ムーブメントに乗る」というトピックと、後日お送りする予定である
「サブカルチャーに対する愛憎」と、どちらにも関連してくることになります。



-ムーブメントに乗るということ

--東京トンガリキッズ

この本は、自分には相当なインパクトがありました。

本の中のひとつのストーリーで、田舎娘が東京に遊びに行き、泊まり先(姉の家)か
ら自慢げに友達に電話をする、というシーンがあります。

似たような光景を自分は見たことがあります。遠戚が東京の私の部屋に泊まりにきた
ときです。

このストーリーでは、電話でひとしきり友達に自慢した後(どこそこのライブハウス
に行った、とか、服を買ったとか、原宿で写真を撮られて雑誌に載っちゃうかもしれ
ない、とか)、その子は「高校卒業したら絶対とうきょにいく」「だって、毎日がと
うきょなんだよ、とうきょ」といって結びます。

これを読んで、ああ、自分も何も変わっていないんだなあ、と思いました。この段階
からまだ抜け出せていないというか、良くいえば、初期衝動を大事にしているという
か。。

未だに「毎日がとうきょ」という状態を楽しんでいます。それだけで満腹、といいま
すか。起きたらとうきょにおり、活動する場所、働くばしょもとうきょ、寝に帰る場
所もとうきょです。

この場合の、若い人たちが憧れる「とうきょ」とは、絶対的に原宿、渋谷付近を中心
とする「都心」です。

こういう子らのほとんどは、20代ぐらいで「毎日がとうきょ」という時期も終わりま
すが、自分はそれだけが自分のアイデンティティだと思い、続けています。

自分は高校を卒業してまず「とうきょ」には行けませんでしたが。。(最初は横浜)


また、このストーリーで出てくる田舎娘の姉は、高校までは真面目だったのに、東京
に出てきたら急に遊び人になったという設定です。「男をとっかえひっかえ」という
感じで。。

このパターンにも、昔は憧れました。田舎に住んでいた頃は、「とうきょ」で一人暮
らしすれば自動的に遊び人になれるような錯覚がありました。
が、自分自身は結果的にそうはなれませんでしたし、私の同郷の知人で、もともと真
面目だったのに「とうきょ」に出てから人格が変わったかのように遊び人になった、
という人はいませんでした。

たまにそれらしき人はいましたが。。 帰省したときにそういう「ふり」をしたいだ
けなのです。

たまたま自分の周りだけそうだったのかもしれませんし、そもそも皆中流階級の子女
で、それほどお金を持っていなかったから、というのも理由のひとつかもしれません。

皆、同じように「あれ? おかしいな。。」と思い始め、(自分が「遊び人」にどう
してなってゆかないのだろう? という疑問を抱きながら)結果的には軽い失望と、
捨て台詞(「東京は卒業」的な)を残して、Uターン就職したり、結婚したり、「元
のサヤ」に収まってゆきます。


ところで、現実問題として、私の家に泊まりにきた遠戚は、地元の友達に電話し、「
とうきょはあんまり面白くない」と言っていました。まるで悟ったかのような物言い
でした。

それは当たり前なのです。こちらから何かをつかみにいかないと、何もゲットできな
いからです。ただそこにいるだけでは「とうきょ」は何も授けてくれません。

本に登場する田舎娘は、短い滞在日数で貪欲に「経験」をゲットしています。それは
、微笑ましいものです。田舎娘が一張羅を着て「とうきょ」に勝負しにゆく、という
気合の入れようが、とても好きです。

斜に構えていては何も得ることはできません。