今まで自分の「横文字職業」や「サブカルチャー」に対する愛憎入り混じった思いに
ついて書き連ねてきました。

それと関連して、自分の人生において常に大きなテーマとしてあったのが「偽りの個性」と「真の個性」という考え方です。
今回は「オリジナリティ」について書きます。



-「クリエイティビティ」という名の落とし穴

--オリジナリティについて
このメルマガのVol.001で、中学校時代が一番楽しかった、ということを書いています。

ですが、中学校時代に戻りたい、と考えたことは、ほとんどありません。

その理由は、未来のほうが楽しいはずだから、という楽観論からきているわけではなく。。

真似っ子だったからです。たとえば当時の田舎では、お洒落をしようと思ってもファッション誌やヘアカタログ雑誌の丸ごとコピーをする他なく、今考えると恥ずかしい限りで。。

ファッション誌ならまだしも(ファッション誌の真似であれば、それでもけっこう地域では「センタン」をゆける)、目標(?)の先輩や同級生の「スタイル」に憧れてひそかに真似をしていたり。。

人真似も、服装だけじゃなくて行くところ、口癖、音楽の趣味、などなどあらゆるところを。。 それも、「真似した」といわれないようにひっそりと進行させながら。。
いつの間にかなんとなく自分でオリジナルであるかのように装い。。 時には、その真似をした目標の人よりも自分のほうが褒められて悦に入ってみたり。。

そんな姑息な手段を使っていた過去には戻りたくありません。

戻りたくはないのですが。。 その過去がなければ今の自分はありません。すべては「模倣」から始まる、ということもわかっています。

それからン十年を経て、自分は果たして「オリジナル」な存在になっているか?
奇をてらわず、ノーマルな社会生活を送りつつも「オリジナリティ」を発揮できているか?

を、いつも気にしています。

ある程度歳をいってから、若い人のスタイルの真似をして「個性」を維持するよりは、ノーマルな社会生活の基盤を築きつつオリジナリティを発揮したほうがカッコよいと思っています。


大人になって、ある程度金銭的に自由になってから、スタイルを真似するだけならばカンタンです。ただ、自分たちの世代のスタイルを雑誌などからコピーしてしまうと、それも没個性になってしまいますし、若い世代をコピーしてしまうと浮いてしまいます。

「スタイル」は、コピーするのではなくて主体的に考えて「取り入れる」べきですね。
コピーするほうが楽ですが。。

また、「スタイル」だけでなく、若い世代特有の「甘え」までも真似して、都合よく取り入れてしまう「いい大人」が多くなっているような気がしてなりません。


あの頃自分が真似をしていた、「カッコよかった」人たちは、はすっかり落ち着いて、マイホームパパになっているのでしょうか。あるいは、若い人たちのコピーに走ってかろうじて「個性」を維持しているのでしょうか。