「健康について~」ももう5回目になりますか。。

。。我ながらちょっと飽きたな。

 
健康について、ということで、これから自分自身が真に健康になってゆくために、長い闘いになってゆくだろうなあ、と思っているのはコーヒーだ。

最近、コーヒーという存在が非常に怪しいと思うようになった。

なぜこれほどまでにシアトル系のコーヒーショップが街にあふれているのか?
あの光景(ひとつの街にドトールとスタバとエクセルシオールとタリーズがすべて同居しているような)は、異常である。不自然である。

何か麻薬的なものをいれてんじゃなかろうか、と。。

  
コーヒーについては、僕がコーヒー(の常習性)との闘いに打ち勝ち、減らしてゆくことができれば、何らかの論を展開することはできそうだ。

でも今現在、僕はおそらくコーヒーに取り込まれてしまっている。以前のようにガブ飲みはしなくなったけれども。。


世の中もコーヒーに対しては寛容である。
世の中はアルコール依存症に対しては冷たいが、コーヒー依存症に対しては放置プレイをしている。
それがなんか、マズいんじゃないかなあ、と漠然と感じている。

 
なぜマズいと感じるかというと、たとえば僕が仕事で煮詰まってくると、脳が自動的にコーヒーを求めてくるからだ。
これは、僕が夏の夕方になると自動的にビールを飲みたくなる(笑)のと、よく似ている。

紅茶や緑茶ではなく、コーヒーでないといけない(らしい)。
同じように、夕方に最初の一杯として飲むのはビールでなければいけない(らしい)。

 
つまり、依存する対象として、きわめて強力な存在なんだよね。強すぎる。
強すぎる存在は、アブナい。
 
コーヒーは(実は)身体によい!というプロパガンダもちらほら漏れ聞く。

そりゃあね、コーヒーといってもいろいろあるし、自分で豆を炒って自分で淹れたのならば別なのかもしれないが。。
カフェインを過剰に摂取するという行為が身体によいはずがない。何事もほどほどに。

 
 
今日の本題(?)。

このギョーカイのヒトたちってさ、システムテストのときの検証結果とかテストの網羅性とかすごく気にするくせに、「栄養食品」とかさ、そういうのの検証に無頓着だと思わない?

○○が身体によい、とかいうと、盲目的にすべて信じる。
なぜなんだろう? 仕事のとき、疑うところはとことんまで疑うくせに、口に入れるものに関しては評価がアマすぎなんだよねえ。

これって、アブないよなあ。。
口に入れるモノに対してもっとガードしたほうがいいと思うんだよね。

僕ももちろん、そうなんだけど、このギョーカイのヒトたちってジャンクフード好きだよねえ。。
身体に悪いなんて、わかりきったことなんだろうけど、「プチ破滅的な人生」を求めているというか。。

コーラを飲むとホネが溶けるとか、カップラーメンを食べ続けると身体が動かなくなるとか、そういう都市伝説を体現したがるというか、体現して自らをネタとして晒したいのだろうか。

まァそれは個人の自由ではあるけれど。

 
 
こないだ、クスリのハナシを別なブログに書いて、書いた後にまた考えたんだけど。。

クスリ業界は、基本、対処療法であり、たとえば風邪とか頭痛とかの上っ面の症状を抑える薬品をつくることができる。

なぜ上っ面だけかというと、もし根本から病気を治しちまったら、もうそのクスリを買ってくれないから。

日本人が皆病気知らずになったら(極端なハナシね)商売あがったりになってしまう。
だから、クスリ業界はできる限り日本人が不健康でい続けることを願う。

と、いうことは、クスリ業界ってのは僕らの敵!? という気もする。
僕らはそもそも、健康になりたいと願っているはずだ。

 
クスリ業界が生産、販売しているクスリには、症状が再発しやすい成分を意図的にいれているのではないか? あるいは常習になるように麻薬的な成分を入れているのではないか?

やはり、そんな疑問が出てきてしまうなあ。

僕らにはそれを確かめる術がない。システムテストのように検証できない。検証結果を入手することができない。

 
クスリ業界というのは、頑張れば根本から身体を治すクスリをつくれるのかね?

実は、やればできるのではないか? テクノロジーの進歩で。
商売あがったりになるからやらないだけで。。

 
クスリ業界はその能力を隠し持ってるのか、あるいはそもそも人間の病気というものはクスリではなおせないという諦観のもとに動いているのか、というあたりは、僕らシステム屋はもちょっとマジメに考えてもよいと思う。僕らの仕事のありかたと通底している。

医学というのは外科療法ばかりは発達しているようだが。。そしてそのおかげで僕らはホント、助かっているんだけれど。。
身体の中のほう、奥のほうを、医学とか薬学の世界はホントにわかってるんだろうか?
実はあんまり、知らないのではないだろうか?

世の中の「SE」と呼ばれている人間の大部分が、システムについてあんまりよくわかっていないように。。

 
 
僕らは、「究極のシステム」というヤツをつくれるのだろうか?
ほぼすべてのユーザが使い勝手に満足し、メンテナンスフリーで、滅多なことでは故障しないシステム。。

今はつくれないにしてもいずれつくれるだろうか?

つくれるわきゃ、ないんだよ。我々は、システムが壊れてスクラップ&ビルドを繰り返すからこそ、このギョーカイで仕事にありつくことができるんだから。

さっきのクスリのハナシと同じように、僕ら(SIerとか)は、ユーザにとって敵なんじゃないか? という気はするよね。メンテナンスがタイヘンで、壊れやすいシステムを客に売りつけて、保守と再構築でゼニを稼いでんだからさ。

僕らは、ユーザが真に望むものを提供できやしない。そして、内心は提供する気もないんだ。
 
ビジネスなんてそんなもん。