無事100号まで到達することができました。

ある程度の歳になってくると、どんな分野であれ「達成感」を感じられるのは幸せな
ことです。



このメルマガは、単なる日記のコピペではないのか、という指摘があったの
ですが。。

はい、そのとおりなのです。

自分の言語化のサイクルというのは、まずmixiに常語体でばーっと書き出して
(この時点ではまだグチレベル)、次に、その中でずっと引っかかっているものを
敬語体であらためて(落ち着いて)日記に書き出します。

「怒り」が発端でないトピックについては、最初から「落ち着いて」いるので、
mixiを経由しないことも多々あります。

そして、日記に書き出した後しばらく寝かせておいて、さらにまだココロの片隅に
残っていたり、強い印象を残しているものを取捨選択して、それを若干焼き直しして
メルマガに載せていました。

ですので、このメルマガはほぼ、私の日記のセレクション版であるといえます。

もちろん、そのときの勢いで、日記に書いていないことをメルマガに直接書き込むことも、
多々あります。
という意味では、このメルマガは私の日記の完全なるコピペではありません。

という説明はどこかには書いていたつもりなのですが。。
だいぶムカシのことなので埋もれてしまいました。


このような指摘を頂戴できるとは、夢にも思っていませんでしたので。。
(日記とこのメルマガを平行で読み進めていただいている方がいらっしゃるとは)

驚きつつも、反応があったのは嬉しかったです。





-遠くにいかないということ
何度か、聞かれていることなのですが、自分の中での大きなテーマとしてあるので、
マジメに書いてみようかと思います。
なぜ、遠くに行かないのか、という話。。

定期的に旅行に行こうという気が起こりません。
その理由は、というか、この議論(反論?)を展開するのにおそらく大きな柱が3つ
あるので、まずはそれを書き出してみようかと思います。

ひとつは、まず、「旅行にいく」という行為自体が「トレンド」であり、それを嫌悪
しているということ。

旅行というのは、ムカシ「慰安旅行」という言葉もありましたが、日ごろの疲れを癒し、
リフレッシュする目的であることが多いです。

今の、「トレンド」としての旅行というのはそうではない。
つまり、疲れてもいないのにやたらと旅行に行きたがる、ということ。それは、
「ファッション」です。

疲れを癒す、というよりは昨今は、「ストレス解消」という意味合いのほうが強いのでしょうか。


2つめは、「都心活動」に充足しているということ。
それが幸せなことだと強く思っています。
トレンド(をつくろうとするヒトたち)に常にひっかきまわされて、旅行に「行かざるを得ない」
ヒトたちよりは。

別に遠くに行く必要がないのです。

遠くには行きませんが近くには行きます。
都心、あるいは、山手線の内側、外側あたりは「縦横無尽」にかけまわっています。
「総走行距離」は旅行に行く方々より多いのかもしれません。

仕事も、なるべく遠くには行かないようにしています。

帰省は別ですが。。帰省は「旅行」とはまた違ったものです。


3つめは、「ヒトはヒトでしょ?」ということ。

なぜわざわざ「アナタは遠くにいきませんね」と私に問う必要があるのか。
私が「遠くに行かない」のがそんなに不思議なのでしょうか。

であれば、ヒトは旅行に行きたがるもの、という考えに支配されているというか。。
それもマスコミが(企業に操られて)勝手に作り出した現代の日本人像でしょう。

それがトレンドなのだとすれば自分はそのトレンドからは外れているということで、
十分個性的であると思います。

個性的であること、あるいは、マスコミの支配から逃れているように見えることで、
嫉妬羨望があるのでしょうか。
だとしたらそれも余計なお世話といいますか。。


もうひとつ、「自慢」の要素はあるのでしょう。
遠くにいかない私に対して、「旅行はいいよ!」と言う意味とは。

私は、旅行好きなヒトに対して「散歩はいいよ!」とはいいません。言ってもムダですから。。


日本人は総「旅行会社の手先化」しているのでしょうか。。

旅行がストレス解消の一手段なのだとすれば、それはひとつの手段にすぎないのであって
他にもたくさんあります。
ヒトが、ストレス解消にもっとも有効だと考える手段はそれぞれ違うのです。

それはあたりまえのことです。


旅行は見聞を広められる、と助言してくれるヒトもいます。

それは確かにそのとおりだとは思いますが、それに対する反論はムカシ書いたことがあります。

ホントウに、見聞を広めるために旅行しているヒトに対しては、私は違和感は感じないと思います。

ですが、昨今トレンドになっている「旅行手法」では、その場所に行った、人気スポットに
行った、有名な店でおいしいものを食べた、証拠として写真とビデオを残した、
という事実ばかり残りますが、間違いなく見聞は広まっていないはずです。

自分は別に「旅行嫌い」というわけではありません。ムカシは十人並みに「貧乏旅行」とか
やってましたし。。
旅行好きな状態は通過しているのです。


旅行がトレンドであるように、「都心」というのも、トレンドになりつつあります。
それは、実際都心に暮らしていると、ここ数年ひしひしと感じます。

ですが、ヒトビトが都心にやってくるのは旅行の延長線上であって、それはトレンドに
なるかもしれませんが、都心に住む、というのは、その難易度が「若干」高いがゆえに
なかなかトレンドとまではいかないのです。

それをやっているという自負はあるわけです。
都心に安上がりに住む、ということにかけては達人の域に達しつつあるとまで思ってますから。。

都心に安上がりに住む、の一環として、遠出はしないのです。遠出はおカネがかかるからです。
半分冗談ですが。。

「なぜ遠くに行かないのか」の答えが「おカネがないから」では、ハナシが終わってしまいます。
おカネをどこに落とすべきか、という優先順位を考えたときに、旅行会社や観光スポットでは
なく自分のテリトリーを選択している、ということです。


歴史は繰り返すといいますか。。
テレビをなくしたら「なぜ?」といわれ、携帯電話を持っていないと「なぜ?」といわれ、
旅行にいかないというと「なぜ?」といわれ。。

あたりまえのことをやっている自負はあるのですが、あたりまえのことを実践にうつすと
「なぜ?」といわれます。

これらの「なぜ?」の延長で「家はやっぱ買わなくちゃ!」とか「やっぱサラリーマンが
安定して。。」などなど、とにかく、私に対して何かしら意見を言ってくるヒトの
「擬似オピニオン」の傾向には、トレンドがあって、一貫性はないのです。

「彼ら」は、テレビやマスコミでその時々に話題になっている社会性のある出来事
(に対する「コメンテーター」達の意見)を、そのまま何のフィルタも通さずに
私に教えてくれているだけです。

そして私は、ある時からそれに気付いてしまったのです。