**ミチクサ(散歩、都市論etc)
-自然にできた目標が、自分の手の届くところにある幸せ
都心に生きてすごく幸せ、ということをもっと自覚的にならなければならないなあ、と。
これも僕の今年の抱負にしようかと思います。

他のヒトはどうかわかりません。田舎暮らしが好きなヒトも多いのでしょう。でも、自分はそうなのだ、というハナシです。

なぜ幸せかといいますと、以前に日記ではアツく語っていましたが、僕はものすごく都心生活に憧れ、(カルく)困難を乗り越えて引っ越してきたからです。

つまり、僕の人生の大きな目標のひとつを、若くして達成してしまったからです。
自分の「目標」というものがいくつかあると思うのですが、そしてそれは、自然とアタマの中にでき上がるものだと考えていますが、そのうちのひとつが実現可能な地点にあって、ホントによかったと思います。

ちっぽけな人間が、自分に見合った、分不相応でないちっぽけな(まわりからみたら)目標を持ち、それを実現させてゆく。
それでよいではないですか、ということ。


なるべく、なるべく他人に迷惑をかけない生活を送っているヒトは、他人と同調せず、自分の幸せを追っかけていればよいのです。それは、追っかける権利ができるという意味であって、他人に迷惑をかけない生活を送っているから幸せがあっちからやってくるというわけではありません。
その生活はあくまで最低レベルなのです。たとえば、「法に触れない範囲内ならば何をしてもよい」という考えをもったヒトがいたり、じっさいそういう記述をみたりしますが、それは、法に触れない範囲で「他人には迷惑をかける」と宣言しているようなものです。

そういう生活を志向するヒトは自分の幸せを追っかける権利はありません。ですから、いつまでもいつまでも他人と同調し、マスコミの情報に一喜一憂し、他人と同じ幸せを追っかけていることになります。(結果的に)

平均的な幸せを追ったところで、ヒトはそれぞれ、違うのですから。。その平均的な幸せにぴったりマッチするヒトもいるでしょうが、そうでないほうが圧倒的に多いと思われます。