伝説の店、というのは、結局ぜんぜん伝説ではないし、誰かの見るに堪えない自伝で「新宿でよく遊んだ」「よくいったな~」なんていうのは、せいぜい月に一度ぐらい。「毎日遊んでた」でやっと、週に一度ぐらい。ヒッピーだったといってもファッションだけ。全共闘だったといってもたまたまデモに行って石を投げただけ。「チーマー」といってもチーマー崩れの「トモダチ」とツルんでいただけ。
そういう膨らませたハナシであれば私でもできます。会話のマナーとして言いませんけれども。。
とにかく、戦後史は大げさに捏造されすぎであると感じています。大人の「オレもムカシは遊んだよ」は100%信用しないほうがいい。特に、居酒屋でそういうハナシを聞かされるときは。
ホントに遊んだヒトであれば、ネズミ色の背広を着て居酒屋でクダを巻いてはいないでしょう。。
とにかく、どの時代を生きたからエラい、というのは、ないのです。大事なのは個としてどれだけのものか、と。
誰もが、自分たちが生きた時代が最高であると思いたい。そういう思いが、歴史の捏造に走らせる。で、テレビ映像がそれを後押しするんですよねえ。。
テレビカメラは、庶民の生活には入っていかないから。インパクトのある映像がピックアップされてそれが時代の象徴であるという刷り込みがされてしまう。
そういえば、「あった」ことだけをカタる御仁も、増えてますね。。その風潮だけはなんとかしてほしいです。マハラジャが麻布十番に「あった」と。しかも、「あった」でハナシおわり。そこに一度ぐらい入ったならまだしも、「前を通ったことがある」レベルで自慢げにカタれるというのも。。
若者の99%は貧相な生活を送っているのです。ムカシも今も。そして、いつの時代も若者は「耳年増」でありましょう。
そういう膨らませたハナシであれば私でもできます。会話のマナーとして言いませんけれども。。
とにかく、戦後史は大げさに捏造されすぎであると感じています。大人の「オレもムカシは遊んだよ」は100%信用しないほうがいい。特に、居酒屋でそういうハナシを聞かされるときは。
ホントに遊んだヒトであれば、ネズミ色の背広を着て居酒屋でクダを巻いてはいないでしょう。。
とにかく、どの時代を生きたからエラい、というのは、ないのです。大事なのは個としてどれだけのものか、と。
誰もが、自分たちが生きた時代が最高であると思いたい。そういう思いが、歴史の捏造に走らせる。で、テレビ映像がそれを後押しするんですよねえ。。
テレビカメラは、庶民の生活には入っていかないから。インパクトのある映像がピックアップされてそれが時代の象徴であるという刷り込みがされてしまう。
そういえば、「あった」ことだけをカタる御仁も、増えてますね。。その風潮だけはなんとかしてほしいです。マハラジャが麻布十番に「あった」と。しかも、「あった」でハナシおわり。そこに一度ぐらい入ったならまだしも、「前を通ったことがある」レベルで自慢げにカタれるというのも。。
若者の99%は貧相な生活を送っているのです。ムカシも今も。そして、いつの時代も若者は「耳年増」でありましょう。