"明日死んでも良い後悔の無い毎日。"

より、

"明日も生きたいと思える楽しい毎日。"

こっちが良い。
2009年。

会社を辞めて、

引越しをして、

茉里子の誕生日を全力で祝って、

店を始めて、

親父のガンが発見されて、

すごく近い未来が不透明になって、

収入が減って、

たくさんの事が思うようにいかなくて、

イライラとワクワクが同じくらいで、

茉里子との1年記念を二人で祝って、

たくさんの人に25歳の誕生日を祝ってもらって、

X'masや大晦日を今までで一番楽しんだ。



金銭的な豊かさを失った分、去年とは比べものにならない程の濃い時間を過ごせた。

それは、働く環境が変わったことが大きいけど、
それと共に茉里子と一緒に過ごした時間が心地良かったからだと思う。

ただ、そんなに素晴らしく、思い出深い一年もいざ振り返ると心から暗く悲しい一年だった。

小説も、実話も、簡単な医学書も、精神書も、時間と環境が許す範囲で読んだ。

だいたいが言ってる事は分かる。

不安になったり、怒りや嘆きを思ったり、
希望を持つこと、前向きになること。

だいたい分かるし、納得も理解もしてる。

でも、受け入れるってことが分からない。出来ない。

何を考えるべきか、何をするべきか、分からない。

とりあえず、すごく泣いたり、無理をして食べたり、何かを壊したりとかはやめた。

だからなのか、余計に何を考えるべきか、何をするべきか、分からない。

ゆっくり考えよう。
やり甲斐のある無しに関わらず、日々、淡々と、黙々と、仕事に打ち込み、

そして疲れを癒す美味しいお酒とか、お気に入りのソファー、大切な恋人や家族が人それぞれにあって、

また、日々の仕事に戻っていく。


そんな毎日の中に必ず喜怒哀楽はあって充実した毎日だと思う。

だけど、人生の中のかけがえの無い日々には、それ以外に"ハリ"のようなものが大切だと思う。


日常とは全く違う場所に出掛けたり、

とてもとてもお洒落をして食事をしたり、

大切な人を心からお祝いしたり、

自然が創造する偉大な情景を目の当たりにしたり、

アスリートのように心身の限界に挑戦したり、

そんなに大きくて特別な何かじゃなくても、どこかに散歩して昼寝して海とか見ちゃたり。

そんな自分やその周りの人がスポットライトを浴びた主役になれる日を一つでも多く作りたい。


きっとそれには、その時、自分と周りの人が置かれている環境やお金、心身の健康状態によってたくさんの制限を受けると思う。


やりたくてもそれ所じゃなくて、日々を生きていくのに全力を投じなきゃダメで、そんな"ハリ"なんか必要じゃないって感じる日もあると思う。

そんな毎日も人生の中でかけがえの無い一日には変わらないから、毎日に納得して、大切にして、出来れば楽しく笑顔で過ごしたい。


そんな風に思える、また思ってもらえる、人といつまでも一緒にいたいし、家族になりたいと思う。



自然と共に、自然のままに。