不透明な明日を少しでも自分の理想に近づけるために、今日を過ごすことが生きることだと思う。

そんな不透明でも希望に満ちた日々の終わりを高い確率の予想を基に告げられること。また、それを告げること。

どんなに時間が経ってもあの一瞬だけは忘れない。

信じられない程に気持ちが乱れた、あの一瞬だけは忘れない。

何をすれば生きる喜びを与えられるのか。

その中で自分は何が出来るのか。
生まれた場所も、育った環境も、周りにいた人も違うから、

時間とお金のバランスである価値観が同じである訳がなく、

もっと言えば自分自身においてもそれは変化していくものだと思う。


それでも、自分は大切な人との間では、なるべくたくさんのものを共有したい。

色々な所に行き、

新しいものを見て、

美味しいものを食べ、

それら全てを自分一人ではなく、異なる価値観を持つ二人で共有したい。


そのために、お互いに認め合う努力だけはサボらない。

きちんと伝えて、

しっかりと聞いて、

利己的にならず、

相手を思いやり、

そんな努力を怠らず、この先もちょっとずつ二人のアルバムを重くしていきます。
深夜の空に浮かぶ月はとても小さいが、
夕刻の空に出始めた月はとても大きい。

それは、山やビルなどが比較になり、
月の大きさを明確にしているから。

それは生死感にもおいても同じで、
山やビルの死を意識すると月の生が強調される。


死ぬまで生きる。


どんな風に毎日を過ごしたら、

どんな風に物事を考えたら、

どんな話をして、どんな話を聞いたら

何を買って、何を食べたら、

誰を愛して、誰から愛されたら、

死ぬまで生きる、と思えるのか。


常にそう思うことが正しい訳ではない。


今日を一生懸命に生きて、
その積み重ねでいつか終わりを迎える。

それも正しいと思う。


ただ、今は今日を生きる事に対して、
覚悟と緊張感を家族と共に持っていたい。