少し前に萩尾望都が出した本がきっかけで…

一部の少女漫画ファンの間で騒ぎになってますよね。
※ 途中までこの記事書いて保存したまま日が経ってしまったので…
今はもうそんなに騒がれてないかもしれませんが💦



私は騒ぎになってる事は知らずに、たまたま本屋さんで見つけて手に取りました。



そして、その後に竹宮惠子の本も読みました。


先に出版されたのは、竹宮惠子の本の方で
私も本屋さんで見かけてはいました。
でも表紙だけみて…買うまではいかずでした。


でも萩尾望都の本を読んだら、こちらも読まずにはいられませんよね😅



そもそも…
私の世代だと、お二人はドンピシャではありません。
私が生まれた1972年にはもうお二人ともデビューされてますからねぇ。
私が漫画を読み始めたのは80年代になるので、なかよしとかりぼんだと、あさぎり夕とかいがらしゆみことか、池野恋とかなんですよ。
なのでこの世代の漫画家さんの作品は、いずれも大人…もしくは高校生くらいの時かな?になってから読みました。


正直なとこ…
私の印象としては、しばらくお二人の作品は区別がつきませんでした💦
絵も作風も似てて…。
風と木の詩とトーマの心臓って同じ作者だとずっと思ってた時期があったくらいで😅

なので「大泉サロン」なるものも、今回初めて知りました。

そして、納得。
同居して、手伝いあったりしてたならそりゃお互いに影響も受けるし、似てきて当然ですよね。
少年漫画とかでも、誰のアシスタントしてたかとか一目瞭然の人いますもんね。



けれどもお二人の著書を改めて読んで…
中身は真反対の人たちだったのだなぁと思いました。


少し事の経緯を説明しますと…(ネタバレともいう)

萩尾望都と竹宮惠子、そしてもう一人漫画家ではない増山法恵という女性が出会い、かなり濃密に親しくなり影響を受けあったわけです。
デビュー間もない若い頃、20歳ごろ。
元々は萩尾先生と増山さんとがペンフレンドで、後に萩尾先生が竹宮先生に増山さんを紹介するんですが、すっかり二人は意気投合するんですね。
趣味嗜好がぴったりで。

その趣味嗜好とは、ズバリ「少年愛」なわけです。
当時はまだBLなんて言葉もなく、一般には理解される事ないその「萌え」を通じて二人はどんどん親密になっていく。
そして竹宮先生は、風と木の詩のプロットを思いつき増山さんと二人で深めていくんですね。
それは、少女漫画界に革命を起こす!という目標にもなってる。

そんな中…萩尾先生は「少年愛」じたいには興味を持てない。
でもそれまでの少女漫画にはない、少年同士の交流を描いたり、少年を主人公に持ってくる事で自由に作品が描ける事に気がついて…。


結果的に、竹宮先生が風と木の詩を発表する前にトーマの心臓を描き、ポーの一族も描いてしまう。

それによって、竹宮先生と萩尾先生との間に亀裂が生じる事になり事件が起こり、お二人は絶縁状態になってしまった。


そのあたりの顛末をそれぞれの視点から書いた本が、「一度きりの大泉の話」と「少年の名はジルベール」なわけです。
めちゃくちゃざっくりな説明で申し訳ないですが💦



まず、最初に出された竹宮先生の本「少年の名はジルベール」は青春時代を書いた自伝で、その中に当時の萩尾先生への羨望と嫉妬の感情とを綴っておられるんですね。
あくまで楽しく、美しく、ほろ苦い思い出として。
先にデビューして上京を決めたのは竹宮先生で、既にスター作家でもあった。
でも着々と編集者の信頼も得て、着実に仕事もとり、絵もストーリーも自分にはないものを描く萩尾先生の存在が、竹宮先生にとっていつしか脅威となり、追い詰められていき…結果的にスランプに陥る。
それは萩尾先生のせいばかりでなく、竹宮先生自身の問題もあっての事なのだけど、とにかく竹宮先生は大泉サロンでの暮らしがしんどくなり、逃げたくて、解散を申し出る。


その後に紆余曲折あり、どの出版社も編集者もOKを出してくれなかった風と木の詩を世に出すために描いた作品、ファラオの墓によって漫画家としてのアイデンティティみたいなものを取り戻して…的な事が書いてあります。


この本によって、当時を知っている人たちも知らなかった人たちも、萩尾先生と竹宮先生の関係についてとても興味をそそられたんですね。


…で、この後にかなりのオファーがお二人に舞い込んだ。
二人での対談企画や、ドラマ化企画。


竹宮先生にとっては過去の思い出として昇華されてる出来事なので、本にも書かれたワケですけど…
萩尾先生にとってはそうではなかった。

大泉サロンでの出来事は、一生封印していたい思い出だったんですね。
それは現在でも生々しく傷あとになっており…
とてもじゃないけど、ドラマ化はおろか竹宮先生に会う事すらも絶対無理!な心境なわけです。
なのに、何度も何度も断ってもあちこちからオファーがくる事に辟易し、それならば皆さんの聞きたい事をお話します。
ただし、これ一度でもう二度とこの話はしませんよの本が「一度きりの大泉の話」なわけです。



まず、萩尾先生の視点からいくと…
厳格な両親に育てられて、自己肯定感が低めな萩尾先生に対して、竹宮先生は華やかなスターで憧れの存在だった。
まだまだ未熟で、雑誌でも巻末でしか描かせてもらえないような自分と比べて、竹宮先生は巻頭カラーを飾るような漫画家さんで、自分が竹宮先生を脅かす存在だなんて事は微塵も思ってない。


そして自分が紹介した増山さんと竹宮先生は、感性も似てるし少年に対しての想いは自分には入っていけない世界で…
そこに疎外感とか寂しさはあるものの…
とにかく萩尾先生は、自分の作品にひたすら向き合って漫画を描きあげていく。
そこに他人と比べて優劣なんかない。
漫画ってそういうもんでしょ?誰が1番なんてない。それぞれがそれぞれに好きなものを描いていける。だから、漫画って素晴らしい!的なね。

そして萩尾先生は、竹宮先生の事も増山さんの事も大好きだった。


…なのに。
ある日突然、竹宮先生から絶縁状を突きつけられるんです。
その内容は、萩尾先生にとっては理解し難く、どういう事なのか全く意味がわからない…。

そして萩尾先生はひどいショック状態になり、眠るのもままならず、貧血で倒れ…
とてもとても苦しまれるんですね…。
結果、あれだけ親しく濃密な時間を過ごした仲間で大親友だった竹宮先生の漫画すらもう一切読まなく…読めなくなってしまった。



そうなってしまった原因は結局なんだったのか。


同じ家に暮らし、同じ本を読み、皆で色んな事を語り合った日々。
その中で、増山さんがまず強烈にのめり込んだ「少年愛」の世界。
そこに共感して、同じ感性でもって少年愛に目覚めて増山さんと双子のように想いを共有した竹宮先生。
そんな中で生まれた「風と木の詩」という漫画の話を繰り返し聞かされ、デッサンも見せられた萩尾先生。

萩尾先生自体は、肉体的なものも伴う「少年愛」の世界は理解できなかったけど、やっぱりなにがしかの影響は受けた…結果、もっと精神的な人間としての魂の繋がり的な方向での少年同士の漫画を描くようになる。


それにあたって萩尾先生自身は、竹宮先生たちの真似をしたわけでもなく、ましてやアイデアを盗んだとかでもなく、ただただ自分の世界観で漫画を描いてらした。


…けど、竹宮先生たちからするとそれは真似をされた…盗まれた…ように感じた部分があったんでしょうね。
ヨーロッパの寄宿舎で生活する少年たちを舞台にした漫画。

萩尾先生にとっては不本意だろうけど、確かに似てるんですよね…。
お二人の漫画は。
私も似てると思ってましたもん😅


でも現在、改めてお二人の作品を比べてみると…
やはり当たり前だけど、似て非なるものですよね。




…で、お二人の本を読んで、感じたこと。


あの時代、少女漫画家ってとても若くでデビューされてる方が多かった。
竹宮惠子も萩尾望都も、一条ゆかりとかも皆十代。
16歳とか17歳とかですよね?
もちろん、今の十代とは比べものにならないくらいしっかりして、大人だったと思いますが…
それでも若いことに変わりはなく…

女同士で同業者なら、そりゃあ色々な事がありますよね。


そしてね、何よりもなんだか萩尾先生と竹宮先生と増山さんの三角関係がまるで恋愛関係の拗れのようにも感じました。
これは、思春期の友達同士ならよくある事だと思います。
私にも経験がありますが、最初は二人で仲良くしてて、そこに別の友達が加わり3人で行動するようになると、どうしてもなんだか1人を中心に取り合いみたいな事になってくる…。



後もう一つ、萩尾先生と竹宮先生と、Yという雑誌編集者との間にもなんだか感じる三角関係感。
ただこれに関しては、竹宮先生1人の感情のようですけども。


でも、これらの関係において苛々したり、嫉妬したり、気にしているのは竹宮先生の方ばかり…な感じ。
で、それがまた竹宮先生を追いつめる…的な💦


一方の萩尾先生は、そんな事で竹宮先生が葛藤したり追いつめられたりしてるなんて微塵も思ってないわけです。


なのに突然、自分に対しての負の感情をぶつけられて、近寄るなと言われて…


ここのあたりの描写、萩尾先生は鮮明に覚えておられて…読んでいてこちらも辛くなります。


でも竹宮先生の本には、書いてないんですね。
ただ、萩尾先生の才能に嫉妬して辛くて逃げた…としか。



私の印象では、竹宮先生は器用でわりとなんでも軽くこなせる人。
そして自己肯定感も高くてプライドも高くて…
今でいうマウント女子的な雰囲気だったのかも😅

そのあたりは、竹宮先生での著書での萩尾先生以外の他の作家さんに対しての文章からもチラチラ見え隠れしてます。
特に印象に残ったとこがありまして…
萩尾先生の本の方に、竹宮先生に出会って間もない頃、あなたはまだ上京しないの?と聞かれ「とんでもないです!うちは両親が漫画に反対だし」と答え、「竹宮先生は反対とかなかったのですか?」と聞くと「うちは別に。親は私のことを信頼してるから」と答えた部分。
文章の感じからしても、多分萩尾先生じたいもこう言われてちょっとモヤっとしたんじゃないかなとw

あとね、こちらは竹宮先生の本に載ってる部分ですけど、まだ風と木の詩の発表前に、強引に少年愛をテーマした漫画を発表した後山岸凉子先生が竹宮先生の元を訪れて「私も前から同性愛について興味があり、それをテーマに漫画を描きたいと思ってきたけど先を越された…と仰っていただいた的な。暗に「山岸先生からもお墨付きをもらってる」と言わんばかりなね…😥





対して萩尾先生は、ご両親に漫画を描く事を理解してもらえずかなり抑え付けられており…
母娘関係でもトラウマというか、複雑な感情を抱えておられる。
漫画家としても不器用で、何度もネームが没になり、苦労しても中々実らなくて…
まわりの漫画家さんに対しては単純にリスペクトしかない。
でも、私は私。私の好きな事を描いていければ幸せ…的なね。



どちらも漫画家として素晴らしい才能があり、ある種天才といわれる部類なんでしょうけど、奥が深いのは萩尾先生の方で、竹宮先生は若干俗っぽい感はあるかな。


こうして言うと、私が萩尾先生に片寄ってるように思われるかもですが💦
実際にはお二人ともに、そんなに思い入れがあるわけじゃないです(コラッ)

それぞれに好きな作品はありますが。


私的には、この世代の漫画家さんだと圧倒的に山岸凉子が好きなので😅






なんか長々と書いしまい、自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってますが💦


それぞれに、それぞれの真実があるという事。


そして増山法恵という人が、なんだかすげーなって事w
お二人に対して(誰に対してもかな)ハッキリと意見、批判を言い、尚且つ自分の知識をガンガンうえつける(?)強引さで、多大な影響を与えたっていう…。


それから…
若さゆえかもしれませんが、傷つけた方は忘れて思い出にできても、傷つけられた方は忘れられないし、良い思い出になんて一生できないって事ですね。


このあたり…私たちには事実はわかりませんが、竹宮先生はとにかく自分が苦しかったから逃げただけ…
でも萩尾先生側からすると、あれ一度きりの話ではなく何度も嫌な思いをした…ようです。


その辺誤解があるのか…それとも竹宮先生が忘れちゃってるのか😓







なんせね、少女漫画大好きな人間としてお二人ともの本に当時の色々な作家さんのお名前が出てくるのが、とても興味深いしわくわくしました。


特に山岸凉子先生!
一緒にヨーロッパ旅行にも行かれてて…

この旅行記については、竹宮先生の本の方が詳しく書かれていて、とても面白く読みました。
当時のヨーロッパの風景がありありと浮かんでくるようで…😊


あの時代に女性ばかりでのヨーロッパ旅行。
とても貴重な体験をされていて、本当に羨ましく読みました。



そして山岸凉子先生の大ファンの私としましては、山岸先生の描写がどちらの著書でも私のイメージしてた山岸先生と変わりなくて嬉しい気持ちにもなりました!









竹宮先生は、萩尾先生の「一度きりの大泉の話」をお読みになったんだろうか?

萩尾先生は、この先も竹宮先生の本を読む事はないと言い切ってるので、多分一生読まれないんだろうけど…。



ファン心理というか、外野からすると
青春時代をともに過ごされ、それぞれ偉大な漫画家であるお二人が和解されるのを望んでやまないですけど…



やはり当人たちは、もう和解する気はないんだろうなぁ。

…っていうか、竹宮先生ですよね。
ご自分の著書を萩尾先生に送ったりして、アクションを起こされてるように見えるけど、本当の本当には何もされてないのかな?って印象受けました。


きっと竹宮先生の方も、本当の意味では萩尾先生を許してないんだろうなぁ…


当時の行動を「自分の誤解だった」「萩尾先生は悪くなかった」って省みる気持ちがもしもあったなら…
多分もっと早い段階で、竹宮先生が直接萩尾先生のもとを訪れて、絶縁状を取り消したはずじゃないかと…。



同業者だし、共通の友人もたくさんいるのだから
竹宮先生に絶縁状を突き付けられた後の萩尾先生の状態も、耳に入ってたはず。


それでも和解の方向に向かわなかったのは、竹宮先生自身は自分の方が傷ついたと感じておられたから…なんだろうなぁ。







難しいですね・・・・😩