大川小学校へ寄らせていただくのは3回目でしょうか…
上田さんと相川小学校に行かせていただいた時少し寄らせていただいたと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、絶対忘れてはいけない、と言う意味でも
すこしお伝えしたいと思います。
石巻市立大川小学校
全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明。
大きな川のすぐそばにある環境のとてもいい場所。(緑の矢印の地点)

この小学校はとても勉学優秀だったそうです。
建物も新しい試みや楽しそうな仕掛けがあったり。
外には円形劇場のような施設もあり、中庭も広く開放的な造り。
この校舎の様子を、子どもがいない廃墟となってしまった姿でしか見ることが出来ないのが、
残念でなりません。子どもたちが遊ぶ様子を見たかった。
建築に足を入れていた私にとって、
建物がこんな姿でしかいられなくなってしまったことがとても悲しいです。

地震のあと、津波が来るということは確実でした。
その避難方向が、
悲しい結果を招いてしまったのです。
学校の裏手には山があり、山に逃げるか、
学校より高い川の堤防の上へ行くか議論になったそうですが、避難先として決まったのは
堤防上の橋のたもと。雪があったし、足下がわるいから。崩れるかもしれないから。
パノラマを作りました。
パノラマにしたら小さくなってしまいましたが(;_;)
右端に見えるのが新北上大橋です。
学校より高い場所。
学校が浸水してもその高さまではこないだろうとの判断だったといいます。
しかし直後に堤防を乗り越え校舎も飲み込み
津波は沢山の命をもっていきました。
助かったのは地震後親が迎えに来たり、津波に山へ押し上げられたりした方。
教員も多く命を落としてしまった。
海なし県育ちの私には身近でなく知らなかったのだけど、
津波浸水予測図というものがあって、津波は海岸から3キロとされて、
大川小学校は海岸から4キロ以上離れていたため、浸水しないとされていたそう。
そして避難場所としても設定してあった場所だった。
実際近くのお年寄りも大川小学校に逃げたの出そう。
そうやって逃げて来た古くから住む人は、山へ逃げるべきと言っていたらしい。
と
ここまで書いて
「本当は校庭にいた」
という記事をみつけた。
教育委員会との数少ない情報公開のなかで
地震の後50分校庭に待機
そしたら黒い波がきた
生存者が少ないから何が本当なのかはまだこれからなのかもしれない
どんなに怖かったことだろう
下記のアドレスにいろいろと載っております。
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html
乱文お許しください。