昨年末ベルリンのクリスマスマーケットで起こったテロ。

 
 
一般市民を狙う卑劣極まりない犯罪です。
 
 
誰を狙おうと、誰が殺されようと、私は犯行に及んだ人のことを許せません。
 
 
人が他の人の命を奪っていい理由などないし、あるべきでもない。
 
 
テロだけを断罪する訳ではないです。どんな理由にせよ、例えば「テロとの戦い」をしている人たちも結局は自分サイドにいない誰かの、あるいは無関係な人の命を奪っているのだから。
 
 
ある意味、自分の命を結構粗末に扱うくせに私は他人の命を大事にするのです。
 
 
なんか矛盾してますね。笑
 
 
あそこのクリスマスマーケットは一昨年私が母を連れて行ったマーケットの1つ。母も私が住む街だということ以上に、感じるものがあったようです。
 
 
ベルリンでの一番の友人の1人ー年の差こそ20歳ありますけどーは、今回のことを受けてこれまで以上に、私がちゃんとベルリンに戻ってくるかを不安に思ったようです。
 
 
でも、私は言われるまでもなくベルリンに帰ってきました。ちなみに、テロの現場となった場所は、今回一時帰国をした際の往路で空港に向かうための乗換をしたところでもありました。私がそこを通ってから2日半後にテロが実行されました。
 
 
身近であれば反応する、そうでなければ反応しない、というのは、何だか何かが間違っている気もします。数日前もバグダッドで数多くの命がテロで失われました。そのテロの被害者にどれだけの思いを馳せられているだろうかと考えると、自分の小ささというか偏りのようなものも感じます。
 
 
昨日、事件現場に献花ならぬ献ロウソクに行ってきました。
 
 
不謹慎にも写真も撮りました。
 
 
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この気持ちを忘れないための写真でもあります。
 
 
周囲は事件のことを気にしたり話したりする人もある程度はいましたし、私のように献花に訪れた人も事件から2週間以上経った今も何名もいました。
 
 
ですが、基本的には概ね皆さん「日常」を過ごしている様子がその事件現場周辺ながらありました。日本でいつも大きな事件の後に起こる「自粛モード」はありません。起こってしまった「非常事態」に関心を持ちつつも「日常」を「市民」として過ごしています。
 
 
少し驚いたのは、数こそそれほど他の地域と変わらないまでも、見かけた警官の1人が大きな銃(肩から下げるやつ)を持っていたことでした。拳銃も腰に据えた上です。
 
 
情報技術(主にインターネット)の発達により、以前より格段に手に入る情報は増えたはずなのです。けれども、膨大な情報のなかで、既存のマスメディアは画一的な情報に偏る傾向が強まり、それが故に自らネットなどで調べようとしても相当量の予備知識がない限り、何が正しいのかわからない状態になってしまう。そこで積極的に予備知識の獲得に奔走する人も一部にはいる一方、大多数の人が「マスコミがこう言ってるからそうなのだろう」となってしまう。
 
 
本当は予備知識を持つ学者たちがなるべくバイアスを少なくした上で、情報を発信していくべきなのです。でも、研究者にもそれぞれバイアスがあるので、そのことに無自覚でマスコミなどに出ている学者の見解を聞いて、それが「正解」だと思ってしまう。
 
 
なーんとなく、こういうところに私がバイアスの少ないオープンな研究者たりたいと思う理由があるのかななどと思ったりします。
 
 
積極的にこの時期にいつもよりは危険度の増しているヨーロッパに来る必要は必ずしもありません。でも、危ないからと言って、自らの関心までも閉ざしてしまうことは違います。戦争を未然に防ぐためにも、いま既に起こっている戦争を終わらせ平和構築をしていくためにも、関心を持ち続けることはとても大事なことです。
 
 
そのためにはやはり色んな情報を多角的に入手しようとする必要があるのだろうな、と思います。残念ながら、日本のメディアには中立性は乏しいです。じゃあ、どうすればいいのか。…どうすればいいんでしょうね?
 
 
最後に、こういったことを考えながら、ふと頭に蘇った話をしたいと思います。かつて2007年頃だったかに、故・筑紫哲也さんの講演を聞く機会があり、「知の三角形」という話をされていたことを思い出しました。「知の三角形」は、情報(infomation)、知識(knowledge)、知恵(wisdom)が作る三角形のことです。これをなるべく正三角形に、という話なのですが、説明し始めるとますます長くなるので、ご興味のある方は、その講演も納められた新書があるので、紹介しておきます。
 
 
 
(ちなみに、もちろんドイツのメディアもそれなりの偏りは持っています。程度がマシなだけで。なんだか昨今のドイツでの報道や世相を見ると、「アラブ系の男性は非常に危険だ」と流布が起こっているような気がします。非常に残念でなりません。犯人扱いされて拘束されその後釈放されたパキスタン人男性(アラブではないが…)が拘束前に射殺されていたらと考えると、怖くてなりません。そして、この手の事件がある度に、必ず出身国や出自が付け加えられること、ISとの関係をすぐにテーマにすることに不快感を感じざるを得ません。)