ソフトバンクホークスがCS優勝に王手をかけた。

九州は湧きに湧いています。

無傷の2連勝とアドバンテージ1という流れは
過去のCSにもなかった最高のペース。

僕は明日で決まるんではないかと思っています。

本当に長かった。


今でこそ当たり前のように優勝争いをする
名門チームとなったホークスだったが、

私が子供の頃は福岡に野球チームは無かった。

TVでやってるのはいつも巨人戦。

楽しかったけど東京のチームを応援するというのが
どうも腑に落ちない自分がいて

名古屋のドラゴンズや広島のカープ
のような地元球団が羨ましくて仕方なかった。

ある時、自分は父にこう聞いたことがあります。

「なんで福岡には野球チームがないの!?」

父は答えた。

「今は無いが昔はあった」

と。

かつて平和台球場を本拠地としていた西鉄ライオンズというチームが
存在しており

何度も優勝していたチームだったようだ。

私が生まれてすぐに埼玉に本拠地が移動し
あの有名な西武ライオンズに生まれ変わったという
いきさつがあったのだ。

どうにかして福岡に野球チームができないだろうか・・・

その数年後に福岡に野球チームができるかもしれないという報道が流れた。

今もロッテか南海ホークスかという話だった。

最終的にスーパーダイエーが南海ホークスを買収し

「福岡ダイエーホークス」が誕生した。

これには最高に喜んだ。

やっと応援できるチームができた。

だが、最初のホークスはとにかく弱かった。
万年Bクラスが続いた。

そんなホークスを根本的な部分から変えたのが
93年に就任した根本監督である。

この人の改革には驚いたものだ。

なぜかというと当時ホークスの投打の看板選手だった
佐々木、村田を放出して西武から秋山を獲得した。

新聞であの記事を見たときの驚きは今も忘れられない。

翌年は開幕3連勝を果たし優勝争いも演じた。

さらに西武時代に面倒を見ていた縁もあり
工藤がFAで入団。

そして最大の功績は読売ジャイアンツの王貞治を
ダイエーホークスの監督にしてしまったことだ。

当時では絶対に考えられなかったことだが
根本氏はこう説いた。

「長嶋は長男、王は次男。」
「次男はいつか家を出ないといけない」

これが巨人を出る決め手になったようだ。

だが、王ホークスも最初は順風満帆ではなく
Bクラスを繰り返し
生卵を投げつけられた時もあった。

そんなときでもめげることなく前に進んだホークス。

Bクラスを続けている間に

小久保、松中、城島、井口といった選手が成長していった。

そして忘れもしない1999年
この年から優勝してほしいという思いがマックスに達し
新聞の切り抜きをスクラップすることを始めた。
そしたら、優勝したからびっくりした!

そして2000年の連覇。ON対決。
2003年の阪神との伝説の日本シリーズ。

ひたすらTVで観戦し、TVがやってないときはラジオにかじりついた。
初めて日本一になった時にメガホンをたたきすぎて
ぶっ壊れたのは印象的だったし、
はじめて彼女ができたきっかけもホークスだった。。。懐かしい思い出だ。

気付けば常勝軍団になっていた。

このころから仕事が忙しくなってきたので03年で切り抜きを辞めたら
それっきり優勝しなくなったww

皆それぞれに注目する選手はいるだろうが
僕はやっぱり初優勝時のメンバー
小久保と松中に注目したいですね。
今日も松中グランドスラム打ったらしいしね!

では、明日を楽しみにしましょうかね♪

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