以下、ある人のブログから抜粋。
凄い自分自身ささった内容。
大学1年生のとき、一人旅をしようと思ったことを思い出した。
一人旅をすれば、全く自分を知らない人たち、環境の中で、
本当の自分を見つけられる気がしていた。
あれから8年。
もっともっと、飽くなき探求心をもって、人生を過ごそう。
(以下抜粋)
僕は旅人である。
旅人が旅人たるゆえんは、絶えず移動を繰り返し、ひと所にとどまっていないという点にあると思う。
これまでいろんな土地を旅してきた。
旅をするのはきっと帰るべき我が家(home)があるからだろう。
いくら長旅に疲れても、温かく迎えてくれる場所があると言うのは実にありがたいことである。
「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行きかふ年もまた旅人なり」
松尾芭蕉が片雲の風に誘われ、とめどない漂白の思いに駆られるまま「奥の細道」を訪ねる旅に出たのも、彼が根っからの旅人だったという何よりの証拠だ。
旅人は道祖神(どうそじん)の誘いを決して拒むことなく、たとえ行く先に何があろうとも、我が道をひたすら突き進むのである。
旅の空をぽかんと眺めながら、これまでの自分の人生を振り返ってみる。
それを贅沢(ぜいたく)な時間と言わずして何と言えよう。
失われたものを追い求めたくなる時がきっと誰にでもやってくる。
だけど、旅人は過去を振り返らず、未知なる世界に憧れながら未来をさすらいつづけるもの。
あるいはそういう意味で「時空の旅人」ともなりうるわけだ。
何ものからも束縛を受けないということが大切だ。
職場や家庭、わずらわしい人間関係、名誉、地位、さらには欲望からも解放された本当の自分自身を見出すこと。
昔から人は旅をしながら自己を改革してきた。
旅に出ることでより深く自分と言う人間を見つめ直すことができるはずだから。
旅とは教育でもある。
旅した先々で出会った人々から様々なことを学び、未知なるものをひとつずつ吸収していくために移動しつづけること。
それが旅の本来の姿である。今改めて僕はそんな風に感じている。
それは、研ぎ澄まされた鋭利な刃物のようにシャープな人生かも知れない。
欲望や本能から解き放たれて、真の自由を勝ち取るために、一歩ずつ、前へ前へと進んでいく。
さらには、自分自身が常に人生というドラマのヒーロー(主人公)であること。
シナリオこそないけれど、興奮と感動に満ち溢れた波乱万丈のドラマがそこにはあるのだから。
どんなにハチャメチャで破天荒な生き方であっても、たとえそれが理解に苦しむようなものであっても、すべて自分の人生。
ありのままに、あるがままに、受け入れるべきもの。
喜びも悲しみもあればあるだけ楽しめる。
試練も苦難も、決して拒むべきものではなく、すべて人生のスパイス。
心から感謝し、ありがたく思うべきもの。
旅立ちの日は刻一刻と近づいている。
どこか見知らぬ町の空の下で、あるいは、どこでもないところの真ん中で、僕は名もないひとりの旅人になるのだろう。
そして、いつか感じたあの胸のときめきを、もう一度確かめるために、一本の道を二本の脚で走り続ける。
出会いと別れを繰り返し、僕らの人生は続く。
地平線の向こう、この一本の道が果てるところまで…。