わたしは、ひどい方向音痴の人間です。

空間認知力が欠けているのかもしれません。子どもの頃にブロックなどで遊ぶと良いみたいな記事を読んだことがありますが、ブロックとか粘土とかパズルとか好きだったんですけどねw

過去記事⇒おとなの数学やり直し⑤ 空間図形

 

道に関しては、まず右なんだか左なんだかが一周すると分からなくなるし、脇道とか目印の建物とかに惑わされて自分がどこにいるんだか認識できなくなってしまう。

なので、初めてのデパートのトイレなんかに行くまではいいとして、帰ってこれなくなってしまう。

あっちにもこっちにもエスカレーターがあるし、どこから来たのか分からなくなってしまうのだ。

 

潜在意識に関しての道のりについても、この一年半、どれほどのガイドブックを読み漁ったか分からない。

動画に関しても、数百本は観た。同じものを繰り返し観たものもありますから、総再生回数はトンデモナイと思いますよ。

家にいる間は、起きたときから寝るまでずーっと音声を聞いている日もあります。

本当に、これがイングリッシュラーニングとかだったら、どれほど良かったことか。

もうニュース英語だって聞き取れてるかもしれないよ!

 

毎日聴いているYOUTUBEのチャンネルは色々あるんだけど、いわゆる『ゆっくりボイス』の音声動画が超お気に入りになるなんて、人生分からんもんですよw

過去記事⇒ボーカロイドの魅力

 

 

あんなに違和感しか感じてなかったのにねぇ。

超棒読みなのに、なんだろう・・・逆に話者の感情が入って無い分、内容だけがフラットに入って来るからかもしれないです。

逆にご本人の生のインタビュー動画なんかはそれはそれで好きですよ。人柄とか声色とか表情とかが内容を補ってあまりあると感じたりするので。

自分が取り入れたいことによって変わるってことですね。

 

ですので、ボーカロイド?あの機械音的な棒読み?気持ち悪い、違和感しかないから嫌い。あんなの必要か?人間の生の声の方がいいに決まってるじゃん!というのは決めつけだということですね。固定観念、先入観。

 

しかし一日中ずーっとボーカロイド音声を聞き続けていたら、なんか脳に悪いんじゃないか?!という謎の不安が湧いて来ることもあります。忙しいな、わたしの脳内おしゃべり。

 

その中でしょっちゅうキーワードとなるのが【認識変更】という言葉です。

ここでいう認識って何なんだって話です。

わたしの解釈としては、『望んだことの答えはすでに存在してますよ』ってことだと思います。

この『望む』って部分を『願望』って表現してる場合や、『答え』の部分を『実現』とか『現象化』って表現されている場合が多い気はします。

だから、【大金欲しい。欲しいと望んだのに未だ一文無しとはどういうことだ?】とか【美人になりたいと願ってるのに、顔かたちは変わらんだろ、整形しろってか?】とか【〇〇大学に入るって決めて頑張ったのに落ちた。これのどこが願望イコール実現だ!】とか、やいのやいのと反対勢力のごもっともだね、ごめんなさい的な声が止まらないわけです。

 

この現実的に考えてそうなの!これが証拠なの!参ったか。反論したけりゃしてみろや。こちとら絶対に負ける自信ないけどね、圧倒的にこっちが有利だもんね。

もう、すごいわけ。エゴが威嚇して来たらこれくらいのこと一瞬でギャーって言ってくるよ。

そして、その声に耐えられなくて逃げたくて、理由をいっぱい探そうとしちゃうんです。

 

そうだよね、わたしは○〇が足りないし、幼少期から〇〇のトラウマがあるし、生まれつき〇〇だし、今までだって〇〇みたいなことあったし、〇〇だもんね。

そんなわたしに願いなんて叶える力ないよね、叶える資格もないよね、望むなんておこがましいよね。無理だよね。って。

 

全部自分で理由付けして、自分で勝手に諦めてるだけ。

誰も言ってない。自分で自分に言っている。

 

で、この一人芝居をやめてごらん。それは自作自演だよって認めてごらん。

はい、落ち着いて、よく聞くんだよ。

幸せゲットで安心感に包まれるのは、もう生まれたときから決められてるんだよ。

なんなら、もう今その状態なんだよ。

だけど、病気が、生活が、人間関係が・・・って曇りに視界が濁されて、完全に見えなくなっている。幸せ?はぁ?あるかそんなものって思わされている。

だったら、この病気を一瞬で治してくれよ。生活を潤わせてくれよ。最高の人間関係に修復して見せてくれよ。って、それが願望にすり替わってる。

そして、思考のなんやかんやの泥沼から抜け出せなくて、助けてよーって叫んでる。

このままでは良くないよ。幸せな本来のルートに戻してよ。障害物を消してよ。

 

わたしの望むものは、すでに存在してる。

リアルな障害物は必ず消える。その障害物は自分がワルイコだったから作られた罰ではない。そんな謎の罪悪感に苦しむ必要なんてない。

 

障害物の存在や、それを生み出したと自分が創るストーリー、そしてそれに対する恐怖や不安と罪悪感、それから逃れたいと苦しみ、解決のための願望。

これら一連の流れを理解するのがまず難題。そして、それに対して色んな人がアドバイスする内容がまた難解。自分にピタッと来るものがないと実感として腑に落ちない。

腑に落ちたくて、理解したくて、もがき苦しむ。

あっという間に自分にピタッと来て【認識変更】に成功する人もいるけど、わたしみたいに用語は分かったし、言わんとしてることは分かるけどなかなか腑に落ちないタイプもいるのです。

 

認識変更したとたん、現実がコロッと180度変わって、なにもかも幸せにしか思えなくなりました!なんて人の話を聞くと、羨ましくて、自分もそうなりたくて、なれない自分をまた許せなくて、ゴール付近でまたウロウロ迷ってしまうんですw

 

何が一番シンプルかって言うと、「へぇ~、障害物があろうともそれにどうこう時間を割かずに、すーっと歩いていけばゴールに着きますよ」ってこと。

ゴールは無いんじゃないか?とか、ずっと迷ったままでいたらどうしよう?とか、言ってるくらいなら、鼻歌でも歌って歩いていなさいよってこと。

めっちゃシンプルで陽気で能天気なことしか言われていないのに、どうしてこんなに苦しむんだろうかね。